東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『そして8月も始まり』

日記を放置してしまうのは、仕事の忙しさもあるのだけど、帰宅すると嫁氏と娘子がすでに寝ており、電気の消えた部屋にいるとPCを立ち上げる気が起きなくなり、そればかりか急激に眠気に襲われて0時前でも眠ってしまうパターンが多かったから。


何やら、眠っても眠っても寝たりない。


ずっと仕事に忙殺されていたばかりではなく、7月中旬の休みの日には僕の実家に帰ったりした。我が父母は娘子に会うのを楽しみにしている。まさに『溺愛』といったアレで、気がつけば娘子にローディを購入していた。写真は赤いローディに乗った娘子だけど実際に購入したのはベイビーグリーンという色のローディ。ローディはかわいいので、大小様々なローディが我が家にはいる。このベイビーグリーンローディ、娘子もっぱら乗るよりも持ち歩こうとするそうで、しかし重くて持ち歩けないと苛立つ娘子はローディをバカスカ殴るらしい。




そういえば、偶然だろうけれど、一度寝ている僕を起こそうとして身体を揺さぶった後に、瞑った目玉を指で押してきたことがあった。まさか、1歳の娘子に指で目を押されるとは思わずひるんだものだ。娘子の内に秘める暴力性を見せられた気がした。


雑司ヶ谷の盆踊りに行ったのはその週の週末。久しぶりに友人たちとも会場で会う。ゆかたを着せた娘子は祭りの雰囲気に驚いたり、戸惑ったり、楽しんだり、その都度その都度様々な表情を見せる。鬼子母神の境内で行われる盆踊り。その夜は、鬼子母神の境内が、不思議な程に、深い森に包まれたような気になった。祭りの後にみんなで中華を食べたが、そこに至って娘子はいつもの調子を取り戻し、ご機嫌に中華を食べ散らかした。


8月は僕がさらに忙しくなりそうで、嫁氏と相談した結果、嫁氏は娘子と猫を連れて山形の実家に帰省することに。これからひと月ほど一人暮らし。猫もいないのは久しぶりで、家に一人はなんとも淋しい。ベイビーグリーンローディがぼんやりといるのもまた淋しいが俺が乗る訳にもいかぬ。


して、仕事もあるけれど、これは映画でもと思い、イエジー・スコリモフスキ監督の『エッセンシャル・キリング』を観る。せっかくなので、元の職場の同僚のS君に声かけ一緒に観ることに。

アンナと過ごした4日間』同様、音響と音楽がすごく良い。様々な環境音が際立つ様にミックスされ、それが音楽とも良い具合に相まっている。
主人公の置かれた状況が極めて特殊な状況であって、それはもう計り知れない。生きるためには、目の前の障害を乗り越えるしかないし、なんであれ食うしかない。『なぜ』を問う前のもっと根源的な衝動。だからこそ、言葉こそ交わさないものの、主人公が介抱される(ほんとに一瞬の)安らぎの場面は、根源的な衝動とは異なる『なぜ』によって行われた行動であることに救いを感じる。何を食べようが、人を殺そうが、主人公の男の流れる血は、赤い。


何やら、涼しく感じる8月の始まり。
児玉龍彦さんの会見模様が削除されていた。単に、規約上の削除なのかもしれないけれど、それでも優先されるべきことがあるのではないか。届ける必要のある言葉をなぜ削除するのか。