東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『非日常ではない世界』

嫁氏の体調はどうやら回復してきた。一安心。娘子にうつらなかったのも本当に良かった。


で、体調も良くなったので昼食を近所の中華料理屋さんで食べていたとき、ふとミクシィのニース項目にあった記事について話をしようと、嫁氏に「ミクシィにさぁ」と切り出したところ、娘子が「みくしー」と大声で叫んだ。なにゆえ焼きそばを頬張りながらその言葉に食いついたかは不明。そんなこんなですっかりニュース記事のことは忘れた。


食後、嫁氏が買い物をしている間に娘子と鬼子母神さんへ。さすがに雨の降る日に人は誰もいない。お参りをして、少しばかり本堂の軒下で雨を眺めてみる。木々に雨が当たる音がする。本堂の横にある祠の屋根に当たる雨を見て、娘子が「あめ、すーって」と指をさす。娘子は滑り台が好きで、雨が屋根を滑って遊んでいるように見えたのだろう。そんな見方もあるのか。娘子の視線には適わない。困ったのは、その後に鬼子母神の隣の公園に行こうとせがんだこと。雨の中ではさすがに遊ばせられない。


今日の夕方に放送していたEテレビの『おじゃる丸』はとても良い話だった。『間違い電話』というタイトルの話。喫茶店のマスターであるマイクには、月光仮面のような覆面姿で世を忍びつつ公園の落ち葉を掃除するなどの趣味がある。その日も、いつものように公園の公衆電話ボックスで覆面姿に着替えようとすると、公衆電話に間違い電話がかかってきた。老年の女性がそば屋と間違えたらしい。マイクは自分の素性を明かさずに、丁寧に間違いを諭した。しかし、翌日もさらに翌日も電話がかかってくる。そして、いつしか、間違い電話ではなく、2人の間で会話のやりとりは楽しむためのものになっていた。日が流れ、今日もマイクが公衆電話に向かうと、公衆電話が取り壊されていた。マイクは「これで、もうあの人とは話ができなくなってしまいました」と言い、公衆電話ではなく近くの茂みで覆面姿に着替え、いつものように公園の掃除に向かった。

電話の相手である女性は声だけが示され、その姿は最後まで見えない。公衆電話がなくなった後の話もそこでは描かれない。突如出現した『非日常』は突如終る。その『非日常』はドラマチックには描かれず、むしろ『日常』のすぐ横にある。マイクはすんなりと『日常』に戻る。マイクは単に諦めが早いわけではない。電話越しに姿が見えない老女と話す時間は、マイクにとって貴重な時間になっていた。それは何度もくり返して描かれる仕事を途中で辞めて公衆電話へ向かう姿からも見受けることができる。雨上がりに見えた同じ虹をどちらも見ており、互いに近くに住んでいることが分かっても、そこから直接的な接触はない。偶然に電話を介して出会った『非日常』を2人は理解しているかのように、『非日常』は『非日常』のままにする。だから、突如としてその『非日常』が幕を下ろしても、終ることもまた『非日常』のさだめとでも理解しているかのように、すんなりと受け入れる。そして、再び『日常』に戻る。そのささやかな描き方が、だからこそ返ってとても良かった。彼らのその後は、おそらくもう描かれないだろう。すると、彼らはもう二度と会うことはない。それで良いのだと思う。彼らが戻った『日常』は『非日常』を経たことでそれまでとはおそらく少しだけ豊かになった『日常』になっているはずだから。