東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『記憶から描かれる架空のもの』

朝、ラジオをつけたら「イクメンは1000人に1人の割合です」と言っており、それが多いのか少ないのかは定かではないけれど、無職イクメンとなるとさらに割合は低くなろうなどと勝手に思ったりした。威張れることではまったくない。


天気予報で晴れるし気温も上がると言っており、嫁氏の具合もあまり良くなかったので家にいるよりは娘子とでかけようと思ったが、娘子に「おも(て)に行こう」というと「ピングー」と言ってきかない。それで少しばかり『ピングー』をつけてみるとそれをずっと見続ける。たまに「おもてに」などと口にしても、言葉の最後まできかぬうちに「いやっ!」と頑な拒絶をみせる。で、昼になる。


食後、機嫌が良さそうだったので「おも(て)は?」と聞くと「おもー」と元気に返してきたので、ヨシと上着を着せようとするとすかさず階段を昇り始めた。

外行く気、ゼロ。

で、完全敗北となり家の中で遊ぶ。14時半過ぎに昼寝をした。夕方になると寒くなるので、外出は控える。というわけで、快晴だったのだろうが家から一歩も出ぬ一日。


娘子が昼寝をしているスキに、録画しておいた『日曜美術館 記憶に辿りつく絵画〜亡き人を描く画家〜』を観る。友人のおさむしが教えてくれたので、録画できた番組。娘を事故で無くした両親から、その娘の画を描いて欲しいと頼まれた画家諏訪敦さんが画を描き上げるまでの6ヶ月を追った番組。
すでに亡くなってしまった、それも会ったこともない人を描くため、諏訪さんはその人の両親と会い、取材を重ねる。記憶を集積することで描こうとする試み。極めて写実的な画なのだけど、それは現実の再現としての手法ではない。むしろこの世には絶対に存在しない、番組中に使用された言葉を用いるならば『架空』の画を描くための手法として用いられているように思えた。記憶によって描かれる極めて写実的でありながら『架空』のもの。もうすでにいない人物が、『架空』の画として描かれて現実の中に出現し、両親と対面する場面。画を見た御両親が思わず娘の名前を声にだした姿にとても心動かされました。番組に出ていたコメンテーターの方が、完成した画は、死を受け入れられなかった両親を死と向き合わせて、亡き娘との関係を『変容』させて次の段階に進ませたと言っていたけれど、まさに描かれた画はそのように残された側の何かしら救い(もしくは希望)として、あったように思います。
月末に再放送するそうなので、興味ある方は是非。