東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『人が触れないと朽ちていく』

tokyomoon2015-05-11

8日(金)。娘が習い事に行く。話を聞くと楽しかったというのでそれはそれで良かった。バレエを踊った。せっかくだからバレエができるようになればいいなぁと思う。


僕はよく分からないのだけど、どうやら他にも英会話にも通わせているようで、嫁さんの野望はいろいろあるようだ。父はそれを横で見ております。


9日(土)。こちらが良くなかったのだけど、午前中、テレビを見せたらずっとテレビを見ていた。昼に近所の中華料理屋でラーメンを食べて少し仕事。芝居観劇。冒頭、客入れから舞台が始まる際に客電が落ち、劇場が真っ暗になる。完全暗転。僕はこの真っ暗な空間が好きだ。劇場が舞台の世界に切り替わる。その芝居は、ファルスなのだろう。いろいろな種類の笑劇があるなかで、オーソドックスな作品だと思うけど、その中にもいろいろな種類の笑いがあるように思う。そういうジャンルだからこそ『笑わそう』という意思がアリアリと感じられる笑いは、しばしば笑えず、何か得体の知れないものの方が笑いを誘う。その得体の知れないものばかりでは物語は進まないしから難しいけど。こういう作品を観るとまた、いろいろ考える。


夜。帰って娘と風呂。家族でご飯。それから
ゲイリー・トルースデール『ノートルダムの鐘』。


このくらいまでの時代のディズニー作品は、今から思うと、古典的なディズニー作品をきちんと継承しようという意志があるように思う。さらに『ノートルダム〜』に関しては原作の持つテーマの重さもあって『ライオンキング』や『リトルマーメイド』などと比べても、諸々重厚。画のタッチも写実的。適役の王様の顔の陰影が怖えよ。『アナと雪の女王』や『塔の上のラプンツェル』が好きな娘には少し理解ができないようで、そもそもガジモトがなぜあのような異形なのかが理解できてなかった。「どうしてああなの」と聞かれ「生まれつきだよ」と言うのだけど、その「生まれつき」の意味がわからない。だからマジマジと見る。その眼差しが、人の持つ本来的な眼差しなのだろうけど。


10日(日)。仕事で朝5時くらいの電車で渋谷へ。それから神奈川の三浦半島付近へ。久しぶりにとある廃校へ。こうやってここにまた来ることになるとは。


不思議なもので廃校は、かつて僕が行ったときよりもどんどん老朽化していた。学校として使っていた時よりも、人が使ってないのに、どんどんと朽ちていく。考えてみれば不思議だ。人がいる方が劣化しそうなものだけど。人が作ったものは、人が触れないと朽ちていくのだな。人が作ってないものは、人が触れると破壊されていくのに。


今朝。ご飯を食べている時は機嫌が良かった娘が、服を着替える際に不機嫌になった。スカートを履きたかったのに嫁が用意したものがズボンだったかららしい。泣きじゃくり、こちらの話も聞かず、二階の部屋に閉じこもった。幼稚園へ行く時間も過ぎてしまったが、少し経ったら自分から降りてきて、ズボンを履いて出かけていった。