東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『その世界の終りと始まり』

朝食を食べて、掃除をしてから新宿へ。


前の職場の同僚とアルタ前で待ち合わせして昼食を食べる。チェーン店がよくある、食べることに集中させる半個室タイプのラーメン店に行くが、久しぶりに食べたら、麺もスープも美味しいと思わなかった。特に麺が粉っぽい。好みだろうけど。


それから喫茶店で近況などをしゃべる。その中で、以前仕事で関わったとあるまだバンドの話になった。近々解散することになったという。30歳前後のメンバーで構成されたバンドで、数回一緒に仕事をしたのだけど、とても真面目で真摯に自分たちの音楽と向き合っているようで個人的にも応援していた。解散の理由はもちろんそれは一因だろうけれど、不仲でも音楽性の違いでもなく、音楽では食っていけないからという理由らしい。応援していた身としては残念ではならないけれど、本人たちにしてみればそれはおそらく何度も話あった上でなされた決断なのだろう。


1時間ほど喫茶店で話をしてから歌舞伎町の方へ向かう。以前の仕事で御世話になったある方のライブを観に行った。で、歌舞伎町へ行って驚いたのはコマ劇が姿を消していたことだ。まぁ、閉鎖されていたわけで遅かれ早かれのことではあるのだろうけれど、やけに空が広く感じた。


で、ライブを観る。2011年はなんやかんやでほぼ1年、仕事で関わりがあった人のライブ。まっさらな気分でライブを観る。ステージで歌う人がいて、それを応援する観客の人たちがいる。互いに楽しんでいるように見えるその姿が、素直に良かった。どういう言葉を使えばいいのか分からないのだけど、商業ビジネスの中で、何かを発信しようとする人がいて、それを受け止めようとする人がいる。それが正しいかどうかなんて問題にはなっておらず、日々の生活を一層充実したものにするためのエンタテイメントとして受容/供給される。何も文化芸術的に深く根ざしたものでなくてもそれはアリで、飽きればまた次のところへ移動し、飽きられてしまうとおそらくそれは、その世界から出なければならなくなってしまう。一つの基準として、『金になるか/ならないか』がどうしても出てくる。片方で、ひっそりと一つのバンドが終りを向かえようとして、もう一方で拍手と笑顔によって向かえられるパフォーマーがいる。しかし、それもまたその世界では一端なのだろう。気付く人にしか気付かれずに、いつしか忘却の彼方へ。果てしなく続く、誕生と終り。僕はそれがダメだったのだろう。遠くのステージを観て、その周りのスタッフの人たちをみて、すでに果てしなく遠いところにあるように思える。そんなことは瞬間で忘れ去られ、その世界は今も動き続ける。


ライブが終り、外へ出た。改めてコマ劇跡を眺める。コマ劇もまた、『過去』のものとなって思い出の中で語られつつ、いつしか風化されるのだろう。同僚の方の話ではよくある複合施設のビルが建つのだとか。やけに空が広く感じた歌舞伎町は、日曜の夕方のわりにどこかひっそりとしていた。僕が以前、頻繁に来ていた頃の喧騒はそれほど感じられなかった。一つ何かが終った。で、また次が始まる。