東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『私が舞台に立つこと』

先日、おさむしと会った時、おさむしの撮った写真をいろいろ見せてもらった。その場に自分がいること、そしてその瞬間にシャッターを切ることなど、いくつもの奇跡が積み重なることで一枚の写真がうまれると思うのだけど、そういった奇跡の瞬間を感じさせる写真が僕は惹かれる。カメラマンの目と手と足が切り取る一瞬で永遠の一枚。


飼い猫みぞれがやたらとトイレにいく。何もでないのに何回もトイレでふんばるのでさすがに不安になり、近所の動物病院へ。結果、膀胱炎でも尿結石でもなく、ストレスによるものと診断。年末年始に長距離移動などをさせてしまった疲れやストレスがあるのかもしれない。帰宅してからいつも以上に撫でたりしてあげるとゴロゴロと喉をならす。甘えるがよい甘えるがよい。


録画しておいたピナ・バウシュの『私と踊って』の来日公演の映像と出演者インタビュー、それとつかこうへいさんの特集番組を見る。ずいぶんと異なる表現が舞台に出現するものの、インタビューで語られる舞台役者のあり方には共通の部分がある。だからこそ興味深くもあり。どちらも、己の考えを深化させた結果が舞台に現れているわけで。では、自分は?となる。


福島聡さんの新作『星屑ニーナ』がとても面白かった。星屑と名付けられたロボットは、自分の目に映る画像を記録できる機能があり、それを自由に出し入れしたり、削除したりできる。つまり、それは記憶。少女ニーナと出会い、彼女と過ごした日々は記録される。やがてニーナは死を迎える。それは彼女の肉体的な消滅。ニーナを失った星屑は、その後、墓前で自分の電池が切れて動かなくなるのをじっと待つ様な態度をとるが、機能が止まろうとする直前になり、自分の機能停止が彼女の記録、つまり記憶の消滅につながることに気付くと、自らの意志でその状態に抗い、生きようと必死になる。彼女は肉体的には消滅したが、自分が記憶していれば、彼女はそこにいることになる。

私が、おぼえること。私が、忘れないこと。

死者と自分とが繋がるための方法。そのことを描いている。福島さんの前作『機動旅団八福神』において最終巻で描かれたテーマの1つと共通している。ここからどのような展開があるのか。


明日は、早稲田に行って、松田正隆さんの『都市日記-shinjyuku』を観に行こうと思う。