東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『徐々に映画モード復活』

事務所で、事務作業をする日々。一つ何かが終わると、また、別の新しいことが出てきて、それの対応をする日々。ルーティンな業務に比べると日々新鮮ではありつつも、少し余裕がなくなると戸惑うこともある。

とはいえ、何か、致命的な事態に陥ってない(と、少なくとも自分では思える)のは、救いなのかもしれない。先日、とある出来事で、適応障害について、話を聞いた時、「かいつまんで説明すると、脳の機能のバグ」であると聞いた。セロトニンというホルモンの分泌が減ることで、諸々の強迫観念などが生じて不安になる。それが過剰になると、電車に乗ることさえ、不安で出来なくなるという。ホルモンの分泌機能の異常っていうことになると、もはや生体の事態だし、そうなってくると精神はやはり肉体と繋がっていて、精神病と呼ばれるものも病気の一種なのだ、と、改めて実感する。まぁ、僕みたいなものが軽々と言えないが。

まさか自分はならないだろう、と過信しているわけではないけれど、どこかで客観的に自分のやっていることを冷静に見ることを意識しつつ、あとは、まぁ、社会にしがみつきすぎないようにするしかない。

それはさておき、ここ最近の忙しさのピークは過ぎて、ようやく一息。それで、なんとなく映画を観たいという欲がじわじわ出てきた。先日、「まほろ駅前多田便利軒」を見てスイッチが入った。翌日、「まほろ駅前狂想曲」を観ようと思ったのだけど、録画していたBlu-rayのコピーに不具合があり、観れなかった。残念。

で、とはいえ、映画を観たい欲は止まらず、というか、調べれば、現在公開中の映画でも観たいものがわんさか。で、仕事終わりに、ようやく映画館へ行こうと思い立つ。

新宿バルト9で、『シン・ウルトラマン』を鑑賞。一本の長編というよりは短編をつなぎ合わせたようなオムニバス。社会的テーマはあるだろうけれど、どちらかというと子供向けに作られたヒーロー物なわけなので、それを素直に楽しめばいいのだろうけれど、改めて想うと、この『シン・ウルトラマン』、子供が見て楽しいのだろうか。『シン・ゴジラ』は明らかに大人向けの印象はあったけれど、『シン・ウルトラマン』はどっちに向いて作られたのか、少し判然としなかった。

エンドクレジットをみていると、やたらと様々な場所に、庵野秀明さんの名前がクレジットされている。少なくとも5か所以上にクレジットされていたと思う。禍威獣という表現も含めて、あちらこちらに庵野さんの息がかかっていて、別にそれはそれで良いと思うのだけど、なら、いっそ、監督すれば、クレジット1つでおさまったのではないか。

個人的には、最初の禍威獣が電力を食いながら、その施設をぶっ壊していくところの、バキバキって施設をぶっ壊す音響がとても素晴らしいと思えたのと、巨大化長澤まさみさんが、図らずかシリ―ウォークポーズをするのが面白かった。

映画を観始めると、ランニングがおろそかになり始めてきた。