東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『歯の治療』

治療している歯の抜歯があった。だいぶ欠けてしまっていた歯で、電気メスで歯茎に切れ込みをいれて歯を抜く。麻酔をしているので痛みは無いけれど、何やらぐいーっと歯をいじられている感覚がやはりどうも気持ちが悪い。歯を抜いてから、何も歯がないところの違和感を気にしつつ、帰宅。麻酔が切れてくると痛みがでてきたので、ロキソニンを飲む。それで少し落ち着いてきたので、安心してビールを飲むという愚行をしでかしてしまった。当たり前らしいが、薬とアルコールはもってのほからしい。が、知らなった、のだ。

 

そんな最中、中島哲也監督『来る』をDVDで。

 

長編原作のある作品の映画化と、映画の尺の問題は切っても切れないものだろうし、尺が長ければ良いのかといえば、そういうわけではなく、どの作品にもその作品に相応しい尺があると思う。それに商業に乗っけなければならない場合、上映時間はそのまま受け入れる側の映画館との駆け引きとしても大きく関わるだろう。そして、尺のこともあるけれど、何より作品そのものについて。原作の文字の世界のどこを切り取り映画にするのかは重要。僕は原作小説を観てないからわからないけれど、エンターテインメントとしては素直に愉しく、クライマックスの色味や目の光り方なんかはどこか懐かしい日本の怪奇モノを観たような気分になった。とはいえ、この映画をアリとできるかは、三部構成のような作りであることをすんなり受け入れられるかどうかのような気もする。『主人公は死なない』という勝手な思い込みさえなく、映画の行く末を作り手側に委ねながら観れれば。それにしてもクレジット表記の仕方って難しいだろうなぁと。ある種、ビジネス的な視座からこのクレジットはされたことは想像できるけれど、どの人が一番前に来る立ち位置なのかという問題はなかなか難しい。そういうことで言えば、「主人公は死なない」という定義通りなのか。