東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『風呂の日々/手創り市/大阪ハムレット』

娘子を風呂にいれる葛藤が続く。髪を洗う時にぐずるくらいで大丈夫な時もあれば、髪に触れた瞬間に「拷問なみに苦しいの?」と問いたくなる泣き様をみせる時もあって、その差がまったく判らない。そして、嫁氏が風呂にいれると「ビバノンです」というような按配で風呂を満喫し、風呂上がりに僕が身体を拭いたり、服を着せたりすると泣くという厳しい現実に直面する。


娘子を連れて歩くと、いろんな人が娘子を見て笑顔になる。「まるいねぇ」と声をかけてくれる方もいたり。それは、まぁ、赤児の表情のかわいさというものによるのだろう。個人的には、その娘の「モテ」が微笑ましく、毎日会社から帰って来ると「今日もモテたかい?」と娘子に聞く。娘子が笑顔になると、ほんとかわいいので、ほっぺたをつねってしまう。

先日の日曜は、雑司ヶ谷鬼子母神大鳥神社で『手創り市』。嫁氏と娘子ででかける。嫁氏は、猫の画の書かれたブックカバーを見つけ、それが気になっていたらしく一周ぐるっとまわった後にそれを買いに行ったのだが、その時にはそのブックカバーは売れてしまっており、タイミングの悪さを嘆いていた。それから参道の近くにある『キアズマ珈琲』という喫茶店に入る。娘子がメニューをぐしゃぐしゃにしそうになったので、紙ナプキンを渡すと、それをひっぱたりテーブルに叩き付けたりする。そして口にいれようとする。娘子を見ていると、どんなものでもとりあえず口にいれようとするので、面白いなぁと思う。


録画していた『大阪ハムレット』という映画を観る。原作コミックの方が気になっていたものの、未だ観る機会を得ず、先に映画を観る形。良かった。とてもいい映画だと思った。
高校3年生、高校1年生、小学生の3人兄弟がそれぞれの形で、『自分』という存在について考え、悩み、解決していくストーリーなのだけど、何よりスバラシイのは彼らが彼ら自身の手でそれを解決する(正確にいうと具体的な解決ではなく、『自分』を見つけるきっかけか)というところ。大人はそこに介在しない。横にそっといる。わかり易い形で、人情によせない。『大阪』という言葉を冠するタイトルで、舞台も『大阪』でありながら、そこを強調しない。実景のみの画はほぼなく、人物がそこに存在する。強調しないからこそ、返ってそこに、市井に生きる家族の輪郭がはっきりして、大阪というなんでもない町を肯定的に捉えているように見える。それがこの映画での正しい『大阪』であるように思う。
彼らを見守る母役の松坂慶子さん、義弟の岸部一徳さんの立ち位置が近からず遠からずでスバラシイ。この二人の組み合わせというと、どうしたって小栗康平さんの『死の棘』なわけで、この組み合わせは毎回見事なバランスで映画に存在する。