東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『私はヒロシマ/柿/鏡/他』

土曜。午前中に娘子の予防接種を打ってもらいに小児科へ行く。当然、腕に針を刺された時は大泣きする娘子だけど、針が抜けるとぴたっと泣き止み、「今のなんなの?」という顔をして周りを見る。いきなり痛いわ、痛くないわでそりゃ驚くだろうに。「注射後は30分安静にしてください。そしてこの注意書きを読んでおいて下さい」と注射後のケアが書かれた紙をもらう。それで帰宅してから、嫁氏が紙の内容を確認したところ『30分間は病院の待合室で安静にしてください』と書かれてあり、それは紙に書くのではなく口頭で言って欲しかったと思いつつも、もはやすでに遅し。


午後からは嫁氏が髪を切りに行くというので、娘子と散歩にでかける。雑司ヶ谷霊園から弦巻商友会などをフラフラ。娘子は、外にでてしばらくは風景を珍しそうに眺めるのだけど、やがて揺られる心地よさからか眠ってしまう。というわけで結局は僕の散歩になる。

帰宅してから、娘子が寝ていることをいいことにアラン・レネ監督の『ヒロシマモナムール(邦題は『二十四時間の情事』)』をDVDで観る。先日のマレビトの会の公演を観てどうしても観たかった作品。
戦後間もない広島を訪れたフランス人女優が、日本人男性と過ごした24時間を描く作品。
他者が他者を理解するという困難さ。映画を観ているうちに、登場人物2人がやがてそれぞれが育った街と一体になっていくような感じになる。それぞれの街で起こった出来事を語る(もしくは語らないこと)は、史実としての出来事を伝えるという以上に、個人の体験である。その点で、街と彼らは一体。だから男の名前は『ヒロシマ』であり、語られない女の名前は、彼女の育ったフランスのヌベールであると思われる。映画中盤の、広島の夜の街を徘徊する2人のシーンで、フランスのヌベールと広島の街が交互に映し出されるシーンは、2人の身体が交わるシーン以上に、彼らがもっと深いところで関わりを持ち始めている表現の様にも思える。


日曜。ドラッグストアなどに買い物にでかけたところ、近所に住むT君と偶然遭遇。娘子と初顔合わせ。T君の顔をまじまじと眺めていた。

本橋成一監督の『バオバブの記憶』をDVDで観る。作品の中で心惹かれるのは、セネガルに暮らす家族の方のやり取りで、カメラを向けられる子供たちの笑顔が本当に良い。


月曜。ヴェンダースがピナ・パウシュとコラボしたダンス映画「ピナ」が出来たということをネットで知る。予告編のかっこよさにしびれる。驚いたことに3Dらしい。ヴェンダースと3Dというのがピンと来ないのだけど、予告編を観たら、是非3Dで観たくなる。といっても日本公開はまだ当分先だろう。

帰宅すると、近所に住むT夫妻からもらった干し柿がある。T夫妻のマンションに今年初めて育った八年目の柿の木から採り、干し柿にしたもの。とても甘くて美味しかった。


娘子は、鏡に映る自分を見るとうれしそうに、そして恥ずかしそうに笑う。そこに映っているのが自分だと認識しているとはまだ思えないのだけど、そこに映る僕ではない存在をじっと見る。そして手を伸ばすと、鏡の中のそれも手を伸ばし、鏡面を境にしてその手が重なる。

雨が降ると寒い。