東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『幸福な片想い』

ひな祭り。雲一つない快晴で気持ちが良い。嫁氏の実家から頂いたひな壇を今年も飾る。娘子は、ひな人形を拝む対象だと思っているようで、見る度に手を合わせて拝む。最上級の有り難がり方だろう。


トイストーリー3』。続編の利を活かして、序盤からとてもテンポよくストーリーが進む。おもちゃが動き、しゃべるという設定をCGアニメというジャンルの中で、遊び心満載で描く。

ただ、どこまでも過激におもちゃたちが動き回っても、一点、おもちゃと人間が会話を交わすことだけは絶対にしない。おもちゃが勝手に動くことが人間に悟られることさえも、映画の中では絶対に犯してはならないルールになっている。この一点が守られるため、人間とおもちゃは心を通わさない。互いの思いは平行線のまま。(おもちゃ達は人の言葉を認識できるけれども)

おもちゃ達は、大学生になった持ち主(アンディ)の心がオモチャから離れていくことに戸惑いつつも、最終的には彼らの持ち主であるアンディの意志に従い、屋根裏に行くために決死の冒険をする。その決死の冒険さえも、アンディは知らない。やはり最後まで彼らの思いは平行線のまま。それはおもちゃと人間の宿命。

ただ、一方通行だからこそ、人はありったけの自由な発想をおもちゃに与えて、無我夢中で遊ぶ。映画冒頭の奇想天外なウェスタン風の物語は、キャラ紹介でありつつ、持ち主であるアンディが考えたおもちゃ世界の提示でもある。全てはおもちゃの持ち主が考えた世界。その中に、おもちゃはいる。

映画の最後。大学に通うため、家を離れるアンディがおもちゃを近所の子供にあげる場面。一つ一つのおもちゃを、自分の『想い』と共に子供に渡す場面に心打たれるのは、決して交わらぬ一方通行の『想い』が、持ち主から持ち主へ受け継がれるからだ。おもちゃの『想い』は分からなくとも、自分のおもちゃへの『想い』は次の持ち主に受け継ぐことが出来る。心通わすことが叶わぬ一方通行の、それでいて幸福な片想いがそこにはある。

アンディが運転する車が去る場面、走り去っていく車を見守るおもちゃたちの姿は、大人になってしまったおもちゃの持ち主である者としての映画製作者が思い描いた最後の幸福な発想であると思う。おもちゃに見守られ、おもちゃから離れ、人は大人になる。


というわけで、非常に楽しんだ『トイストーリー3』なのだけど、やはり娘子には早かったようで、早く『ピングー』を見せろとせがむのを抑えつつの鑑賞になった。