東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『祖母と秋の始まりと残暑』

嫁の祖母の訃報は、8月22日(木)の夜に届いた。幸いというかタイミングなのか、嫁と娘は2日前に夏休みで帰省をしており、前日の21日に会っていて、最後に会う事が出来たことが本当に良かった。嫁の話では、いつもは意識が朦朧としている祖母の意識が、嫁と娘が行った時にははっきりしていたという。


いろいろな都合で、23日(金)には通夜を行うと言われ、本来ならば、僕もすぐに駆けつける必要があったと思うのだけど、仕事で新潟に出張する予定があり、23日の金曜はそれに行かねばならなかった。新潟まで車で向かったのだけど、途中で雷と大雨にあった。あれはどこだったか、18時前に群馬の山の中を走っていたとき、気温が23℃とあり驚いた。そしてすでに18時の段階で真っ暗で、あれは一体なんだたんだろう。なぜあそこまで暗くなったか判らない。


本当は週末いっぱい新潟にいなければならなかったのだけど、土曜の昼で山形に向かわせてもらった。


新潟は新潟で、会いたい人がいて、その人に会う事ができたのは良かった。わずかな時間だったけど話ができてよかった。その人から本を一冊もらった。映画俳優に関する本。うれしかった。


山形の新庄に行くには、新潟からだと日本海側を北上して余目という駅から在来線に乗る必要があった。以前、一度だけこのルートを使ったことがあった。新潟から特急いなほという電車に乗る。新潟の田園地帯を電車は走る。新発田駅を通過した際に『しばた』と読む事をはじめて知った。そういえば胎内市という町があるらしく、そこも行ってみたいと思っていた。いただいた本をパラパラと読むけれど、外を見ることが楽しくて、つい外を見てしまう。「ゲンコツ痛い」と繰り返し言い続けて車中を往復している人がいた。村上駅を越えて、トンネルをくぐると不意に日本海が出現した。そこからしばらく日本海が続く。ずっと海を見ていた。夕日が雲と相まってとても良かった。日の光が海をキラキラ光らせていた。


余目駅で40分ほど、在来線を待っている時間があった。誰もいない駅のホームでぼんやりと座る。風が吹くと、どこかで風鈴が鳴っているのが聞こえた。時間はすでに18時を過ぎて、でも昨日のように暗くはならず、やはりあれはなんだったのだろうと改めて思う。


新庄へ。この日、新庄は江戸時代から続く、祭りの日で駅は賑わっていた。僕は、嫁と義母さんからの指示で、祭りのスペースとは反対側の出口で待ち合わせをした。祭り囃子は遠くで聞こえていた。すでに告別式が終わっており、一通り落ち着いていた。親戚の方々と義父さんが酒を飲んでいて、僕もそれにまざってお酒を飲んだ。


翌日は、午後になってから町を練り歩くお祭りの山車を見物に娘と外に出る。祭りは賑やかで楽しい。それが、自分には縁はないかもしれないけれど、それでも見ている時は参加している気分になる。


新庄の人たちの中では、新庄祭りが終わると、夏は終わりで秋が始まるのだと言う。実際、気候も穏やかになり、温度も30℃に満たない、本当に心地いい気候になる。朝晩は少し寒いくらい。そしていたるところでススキが目立ってくる。秋のシグナル。僕は、少し夏休みをもらって28日まで山形にいた。27日、日中に娘と水田の近くを散歩。水田の脇の側溝に葉っぱを浮かべて、船、船といって遊ぶ。夕方、実家で飼っている犬のバーニーの散歩にでかける。娘と犬と。


雲の形、夕暮れ、行き交う車、誰もいない学校の校庭、鈴虫の鳴き声


秋だなぁと思いながら、歩いた。夜、お酒を飲みつつ、食後に少し夜の町を1人で歩いた。最初は雲が多かったのだけど、歩いているうちに雲が晴れて星が見えてきた。なんというのだろうか、夜の土の匂いというのがある。それはかつて大学の頃、北海道の帯広にいたときも感じていた気がする。それに似ている匂い。東京にはない。星も東京より多い。東京にある良さ。東京では得れない良さ。くつも感じた夏の終わりと秋の始まり。


都内に戻ると、まだまだ暑かった。気温は下がっている気がしたけど、蒸しっとする暑さは、都内特有かもしれない。仕事の日々。で、今日は家常さん宅の要らない家具の片付けを手伝った。蒸し暑いなか、汗をかきながらものを運ぶ。久しぶりの肉体労働は気持ちがよかった。それから何人かで酒を飲み、さきほど帰宅。まだ夜は暑い。東京の残暑はまだ続くような気がする。