東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『兄の結婚式だった』

tokyomoon2015-11-10

8日(日)。兄の結婚式が大宮であった。先週も宮嶋くんの結婚式だったからなんだか重なるもんだなぁと思う。


大宮へ家族で出かける。埼玉や東京の近郊に住んでいる他に、鹿児島や佐賀からも親戚が来て、何やら一同が揃った式だった。「こういうお祝い事があれば親族が集まれるからね」と母の姉、つまり僕の義姉になる方が言う。兄は親族の中でもなかなか結婚せずにいて「ようやく」という感じになっていたけれど、ともかく素敵そうなお嫁さんで、結婚式当日に僕も初めて会うことになったのだけど、幸せそうな2人を見れて良かった。


式が進み、結びの花嫁さんから卸両親へ向けた言葉を読み上げているとき、花嫁さんが感極まって涙を流していた。それを聞いていた僕の父や母も涙を流しており、滅多にみない父の涙を見た気がした。父が泣くということをあまりこれまで見た記憶もなく、ああ、父でも泣くのだなぁと思うのだけど、花嫁さんの話を聞きながら、1人の女性が生まれてからこれまでの間、名前につけていた姓から、別の姓に名字が変わることの、1つの夫婦が新しくできることが、1つの家族が喪われることでもあることを改めて実感しつつ、その責任というかなんがしかによってもたらされる涙なのかなとも思った。そんな父や母を見て、自分も泣けてきて、それでようやく僕に新しい義姉ができるのだなぁと実感ができた。


式には年齢の近い親戚たちも集まった。小学生の頃、夏休みごとに集まってはよく遊んでいた。呼び名は「けんちゃん」だったので、今でも「けんちゃん」と呼ばれると、さすがに30後半にもなってその呼び名にくすぐったさを感じるけれど、それもすぐに慣れるというか、きっとこの関係性にはそういう距離感が合っているのだなぁとも思えてくる。小学生の頃にワイワイ遊んでいると、親戚のおじさんやおばさんたちが何かとちょっかいをだしてきた。そんな感じで、今では僕たちが、遊んでいる娘や孫たちにちょっかいをだす。こういうものなのかもしれない、血が繋がっていくということは。あまりそういうことに熱心でもないし、血族を後世に残す、なんてことに強い意識があるわけではないけれど、こういう形で血の繋がった人たちが集まるときの、仲間内とは異なる手触りは、それはそれで心地いい。また兄や義姉に会ってゆっくりと話ができればと思う。



最近は雨が多い。式も雨だった。「それでいいよ、式は雨だったねと、いつまでも想い出に残るから」とも親戚の誰が言っていた。