朝、仕事に行く前にセブンイレブンで氷の入ったコンビニ専用のアイスコーヒーをなんとなく買ってしまうのだけど、昨日はそれと合わせてペットボトルのアイスコーヒーも買ってしまった。たまたま娘も一緒におり、「同じのを2つ買っている」と当たり前のことを言ったが、アイスコーヒーにアイスコーヒーを買う。父とはそういう生き物なのだ。
そういえば一昨日だったか、家の近くで家常さんとばったり会った。「存在のない子供たち」という映画を観てきたとのこと。言葉が的確ではないけれど、面白かったという。そして、最近、自分が描いた絵を何かのコンテストにだして入選したという。個展とかやりたいという話も語ってくれて、そういう気持ちはすごいなぁと思う。道端で話をしたのだけど、なぜか家常さんの周りにだけ蚊が飛んでいて「松瀬くんより血が美味しいんだな」と言われた。
最近は不安定な天気が続き、突然雲が出てきて大雨が降ったかと思うと、次の瞬間にはびっくりするくらい晴れ渡る時がある。月曜あたりは雨上がりも蒸し暑かったけど、昨日の夜は雨上がりが心地よかった。湿度は80%くらいあったらしいが、気温があがらないと気にならないのか。
いきなりな話だけど、ずっと昔からある戯曲を上演するとき、それはもしかするとこれまで行われてきた舞台の影響もあるのかもしれないけれど、なんとなく台詞回しが硬い物言いになる。言葉づかい、役設定、語尾、などそうなってしまう要素はあるし、語気が強いと必然的にそういう風に固い響きになってしまうように聞こえる。そうなると、その作品のもつ柔らかさ、喜劇的な部分が生きてこない。ある種、台詞を発する役者の声の柔らかさが必要になるのではないか。柔らかくしなやかに存在する身体と声。それがあれば語らねばならない台詞はしっかりと語られて、笑って良い場面はたくさん笑えるのかもしれない。柔らかい身体。いろいろな役者のお芝居を観ていると、そういうことを考える