障がい者施設「やまゆりの園」の出来事。その被告に死刑判決が下された。僕自身はニュースなどでその出来事、判決について、情報として知るばかりで、そのことにモヤモヤしつつ、いろいろなものをさらに見るしかないと思い、WEBの記事などを読んでいた。
そんな中で、『Choose Life Project』というWEBの映像プロジェクトの奥田知志さんの言葉を観て、なんというか、ここで奥田さんがおっしゃっている立ち位置から考えるしかないのではないかと思った。
https://twitter.com/ChooselifePj/status/1239866957379145734?s=20
奥田さんのおっしゃる分断線。「役に立つ人間」/「役に立たない人間」。「意味のある命」/「意味のない命」。その二項対立の極端な結論を持って行動を起こした被告に対抗するには、奥田さんがおっしゃる通り、「生きていることには意味がある」という立場を徹底的に考えて、その言葉から始めるしかないのだと思う。だけど、だけど、そもそも物事を二つのこと割り切ること、そのどちらかという選択自体が、やはり苦しい。新型ウイルスコロナに関しても、それをきっかけに各地で生じている差別の息苦しさ。コロナである/コロナではない。疑いから生じる排除。どれもが息苦しい。この事件、そして判決、コロナによる派生した多くの出来事が、同時代に起きているのは決して偶然ではないと思う。
仕事柄、現状によって、エンターテインメントの世界の興行がいろいろと制約が出ている現実を目の当たりにして、そもそもエンターテインメントは余裕のある社会や世界でないとできないものだとは思ったけれど、ここまで制約がかかるのだなぁとまざまざと見せつけられた気がする。もちろん、娯楽は娯楽だ。だけど、娯楽の中にもこういった時だからこそ、そこに触れることで、何かしらの安寧のようなものを得ることができることだってあるだろうし、こういった社会や世界の輪郭をよりはっきりと掴むための手段であったりする、と僕は信じているし、だからこそ、小さいところからでも、何かが発信され続けるべきだと思うし、そのことを僕は肯定したい。
だいぶ肌寒かったのが、今日はびっくりするくらい暖かかった。少しお酒を飲んで歩いて帰る。夜、雨が降っていたけれど、お店を出たときは雨が止んでいた。もう肌寒くない。深呼吸すると気持ちが良い。桜が咲き始めていた。街灯に照らされて、少しばかり緑がかった染井吉野の花びら。雨上がりの静かな道を、猫が悠々と歩いていた。ぼんやり見ていると、こっちに近づいてくる。それからまたぷいと背を向けて歩き出した。もう深夜0時をまわっていて、だいぶ静かな道。春は近づいている。