東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『10月に入って』

特に落ち着いているわけではなく、いろいろとやらねばならないことが山積みにある。ちょっとした小高い山くらいある。行ったことないけど高尾山くらい。父に関する相続の諸々や、母の転院の手続き。仕事もいろいろある。ひとまず転院に関して、兄や嫁、そして叔母に相談をして、希望の転院先を3つほど挙げ、それを病院の相談窓口の方に伝える。できる限り面会が可能な病院。もちろん、コロナで面会が厳しいのは仕方がない。病院内で感染してしまうと、それはもう、大変なことになるだろうし。そのうえで、できる限り可能な病院。果たしてあるのか。

 

で、面会ができない分、じたばたしても仕方がないので、専門のお医者さんにすべてをお願いするしかないと、連絡が来るまでは日常をきちんとすることに。いったん、母のことはすべてお任せ。そこまで器用な方ではない身なので、一つずつしかできぬ。それに少し一息つきたい気持ちになる。母のことを気にしても、会えるではないし。とはいえ、周りは母の容態を気にしてくれる方々ばかりだ。それでLINEが来る。「どうなった」「面会はできたか」。もらったこちらは、少しばかり戸惑う。同じことしか言えない。面会はできてない、連絡が無いのは少なくとも悪化はしてない、はず、と。薄情なのかぁ、俺は。心配はするが、しかしできることはない。無理やり面会したいと電話を入れる事が良いとも思えない。結果、普通に仕事するしかないし、日々のことをするしかないと思う。うーん、薄情か。もちろん、現時点で母のことを知るための窓口は僕しかないのだから、周りの人が僕にいろいろ聞いてくるのはわかるのだけど。

 

そして、物事にはタイミングがあるのか、ようやく一息かなと思った矢先に、朝早くから仕事の電話がくる。予定外のことが起きる。予定外のものほど迅速に対応せねばならないことが多く、今回も漏れなくエマージェンシー。すぐに対応する。それにしても、だ。どこかで誰かが見ているのかというくらい絶妙なタイミングで一つ一つイベントが生じる。ロールプレイングゲームか、何かか。なぜタイミングよく小出しでやってくるのだ。

 

一息が、文字通り一息しかつけず、二息、三息となかなかつけない。「厄年の男は一息で充分だろ」と息を安売りさせない神的なものがどうやら見ているとしか思えない。

 

息がつまるよ。

 

そういうわけで、これはもうガッツリいかねばならないと、久しぶりにマクドナルドのハンバーガーなどを昼食で食べてみた。振り返ってみるとマクドナルドを2年くらい食べてなかった気もする。気のせいかもしれないけれど。身体に決して良くないのだろうけれど、ポテトがうまいよ。仕事で訪れた見ず知らずの土地のマクドナルドのテラス席で、ハンバーガーを食べる。そんな厄年である。隣の席に小さなお子さんがいた。テラスの横の通りをおじいさんが歩いていて、そのお子さんを見て、嬉しそうに手を振っていたが、子供は不審者を見る表情で、その手を振るおじいさんを見つめるばかりで、笑顔も見せない。手を振り返してほしいらしいおじいさんは一生懸命アピールし、手を上下し、顔の表情をコミカルに変えていくが、幼い子供くんは一ミリも表情を変えない。

 

そんな無常な出来事を眺めつつ、ハンバーガーを食べていると、ソースがたれてYシャツにつく。そんな日に限って白Yシャツである。嗚呼、世の中は諸々思い通りにはいかない。

 

駅に向かって歩いていると、秋の空が心地いい。気候も心地いい。Yシャツはよごれたものの、お腹と気持ちは落ち着いた。

 

事務所や外で、いろいろ仕事をして、どうにも何かで発散せねばならぬ気持ちがぬぐえず、辛抱溜まらず、夜の21時過ぎに、思い立って映画館へ向かった。何か映画でも観ようと調べたら、ギリギリ終電間際に終わる『テネット』があり、そのチケットを購入。席はほぼ埋まっていたので、混んでいるかと思ったら、まだ一席ずつ間をあけての販売だった。隣に人がいない快適さ。映画館経営としては最悪だろうけれど、観る側としては申し訳ないほど快適だ。『テネット』については、その設定を完全に理解できたかは不明だけど、ひとまずはノーラン節とでも言おうカット割りや音楽を堪能できたし、ノーラン組常連のマイケルケインの元気さもうかがえた。マイケルケインの近況を知るには、ノーランの映画を観ればいい。

 

映画が終わって、駆け足で映画館を出る。歌舞伎町の中にある映画館。外に出ると週末とは思えない程、人がいない。活気があきらかにない。アフターコロナの視界なのかなぁと思いつつ、歩く。新宿駅まで行くと、鈴虫やコオロギの鳴き声が響いてきた。虫の声が聞こえてしまう週末の新宿。

 

十五夜。綺麗な月がみえてた。