東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『歩いたり上ったり』

実家から仕事先へ向かう。場所によっては移動だけで1時間半以上かかり、時間を気にしてしまうともう、なんだか、どうしていいのかわからなくなる。とりあえず、メールをチェックしたり、本を読んだり、ぼーっとしたりしつつ。なんとか、良い移動時間利用法を考える。

仕事のことでいろいろ考えることはある。できる限りそれぞれの悩み事が解決できるようになればと思いつつも、別に僕は便利屋ではないので、あくまでも『お互い』をサポートしあえればと思う。つまり、「何かをやるなら、その代わり、何かをやってほしい」なのだ。そのあたり、やはり意思疎通が難しい。

そんなこんなで仕事を終えて、仕事先の近くに商店街があったのでその中を散策。商店街を歩くのはなんだか楽しい。

土曜。朝、ゆっくりでよかったので、少し朝寝坊。9時過ぎに母に起こされてフラフラと起きだす。少し余裕があったので、布団をベランダに干す。母は花粉が付くからいいというので、僕の分だけ。それから少し、母を連れ出すために、近所のスーパーに買い物へ。普段はヘルパーさんにお願いするので、今日は買い物が目的というよりは、運動。いくつか必要なものだけ物色しているが、母のこだわりがあるのか、商品を見てはぶつぶつと何かを言いながら棚から出したり置いたりしている。それにしても、土曜の午前のスーパー。驚くほど人がいる。買い物帰り、母に、父がいたころ、父は一緒に買い物とか行ったことあるの?と訊ねると「一度もない」という。私は、選ぶの迷って遅いからね、と言っていた。

その後、少し用があり、春日部駅へ。大宮への乗り換えで使うことはあるけれど、降りたのはいつ以来だろう。多分、それこそ20年以上前だ。当時、小さな映画館があった。アニメ映画の二本立てをやったりしていて、そういう映画を観に来ていた。ロビンソンという百貨店があってそこへ行くことは贅沢なことだった。娘が生まれたとき、何か服を買ってあげるということになったのだけど、その時、母が「ロビンソンへ行こう」と言って、娘の冬用の上着をロビンソンで購入していた。もちろん、服自体は、ロビンソンに入っていたどこかの店の服なのだけど、『ロビンソンで買う』というのがある種の、特別なものだったと思う。

そんなことも全く忘れて、東口を降りて外へ。面影もまったく覚えていない。その映画館ももうなくなっているだろうけれど、どこにあったのかも忘れた。東口を降りて、そこまで離れていなかったような気がする。

国道4号、いわゆる日光街道沿いは、少し情緒を感じる通りで、僕の住んでいる場所の雰囲気とは異なる。思ったよりも、なんというか、味わいのある通り。昔からあると思われる蔵造りの建物もある。地名を見ると、粕壁とある。かつて、古利根川を使って品物を輸送し、街道沿いでモノを売った商いたちが家を街道沿いに連ねていた。モノを売る軒先を「ミセ」という、住居を「オク」と言っていたのだとか。細長い家づくりは江戸自体からのものらしい。地名も、粕壁が元々なのかと思うと、新鮮な気になる。その後、古利根川沿いのベンチで少し一息。古利根川は生活排水とかがでるからなのか、結構、汚れてしまっていて、なんだか残念なのだ。これが綺麗になると、とても居心地がいいような気がする。土曜は冷え込むという予報だったけど、日中は陽射しがあって気持ちが良かった。ベンチ沿いには八重桜が咲いていた。

それから少し仕事。夜は地元の駅前の中華料理屋で済ませる。言葉が悪いけど、どこかひなびた感じのする中華料理屋。そういうところで御飯を食べていると、なんだか知らない町に一人ぽつんといる気になる。

家に帰ると、母から「あんた、一つ忘れてるでしょ」と言われる。なんのことかわからなかったが、布団を干しっぱなしででかけていたことを指摘されていた。帰ってから取り込むつもりだった。普段も結構、陽が暮れてしまったあと、布団を取り込むことはよくあった。「日が暮れても布団がベランダに干してあったら、近所の人からなんて思われるかわからないから」と、母は二階に一人であがり布団を取り込んでくれたという。一段一段、数えながら命懸けであがったよ、という。大袈裟だなとは思うけれど、おそらく本当にそれくらい必死だったのだと思う。申し訳ないことをした。仕事に出かける前、一応、「布団は帰ってから取り込むからね」と言っていたのだけど、きちんと伝わってなかった。

ただ、母は階段を一人で上がれたことが少し自信につながったようでそれはそれで、結果的に良いことではあった。