東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『旅は道づれガンダーラ』

朝、なぜかあまり眠れず、少し早い時間に目が覚める。とはいえ、早すぎるので、また眠る。猫たちがうろうろしており、彼らも起きている様子。その後、また眠りに落ちて、目が覚めたときには娘たちも起きだしていた。

見事な快晴だったので、掃除をしたあと、布団を干し、洗濯をする。快晴の下で洗い物を干すのは気持ち良い。

コンビニで週刊文春を手に取る。小林信彦さんのコラムを読みたかったのだけど、なかった。小林信彦さんが、このオリンピック、コロナの状況をどういう風に書いていたのか読みたかった。というか、連載が終わってしまったのだろうか。代わりに三谷幸喜さんのインタビュー記事を読む。それから少し時間があったので、思い立って新宿御苑へ。コロナがいろいろ厳しい状況だけど開園していた。混雑しているというほどではなかったけれど、人もそれなりにいた。

敷物を敷いて、横になり、本を読む。先日、古本屋で購入した高峰秀子松山善三の共著『旅は道連れガンダーラ』。シルクロードを旅した日記エッセイ。松山さんは旅で巡り合う仏像や、出会う風景に心動かされたことを書けば、高峰さんは世話焼きおばさんのように、現地の水に食あたりしないように気を付けることを書いたりと、どこかのんびりしている。二人のエッセイが入れ替わり配置されて、それぞれの視点が面白い。

過酷な環境で、生きてやがて死を迎える人生について、松山さんは、そこに生きる彼らの人生を想う。彼らが生きる意味とは、と。そういうことを考えることそのものが旅なのかもしれない。

信仰は、人間の虚を埋める行為をさす。生は充実をめざして躍動するけれど、けっして充足することはない。人間の欲望は限りなく深い。満つれば欠ける。

旅先で見上げた空に月があったことを見た描写が良い。

僕は、ホテルを仰ぎ見た。なるほど、ボロである。しかし、僕は、その時、屋根の向こうに落ちてゆく、銀色の月を同時に診た。あれはなんだ。それは、形容のできない美しさであった。黄塵万丈を通して見た落日である。ぬか雨のように、あるいは霏々として降る雪のように、黄塵は、音もなく降りつづき、降りつづいている。その中を、銀色の、月にも似た太陽が、刻一刻と落ちてゆく。僕は、呆然と、その場に立ちつくしていた。

御苑は陽射しがギラギラとしており、木陰に入らないと一気に日に焼ける。一方で、木の下に入れば、風が心地よく感じることができる。夏の暑さは、エアコンが無くてもこういった場所で過ごせる。心地いい時間。

が、さすがに少々外にいすぎて、夜、なんとも調子が悪くなる。麦茶を飲んだり、重曹を溶かした水を飲みようやく回復。軽い熱中症状態。油断大敵。なんやかんや8月。