東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『久しぶりの土地、見知らぬ町の四日間」

13日から仕事の要件で出張していた。詳しくは書けないものの、久しぶりの飛行機。で、仕事上のこともあり、羽田でPCR検査を受ける。民間の検査場がある、とのこと。で、自主的にそれを受けることができるので、仕事相手先から移動前に受けるように指示を受けていた。こんなの受ける人、いるのかなぁと思ったら、結構多くの方が受けていた。当たり前だけど、搭乗手続きをしてしまうと受けれない。まぁ、そうだろうなぁと思って搭乗手続き前に検査を受けたけど、これ知らずに搭乗手続きをしてしまう人もいるんじゃなかろうか。結果は無事陰性。で、久しぶりの飛行機へ。そして、久しぶりのとある場所へ。

空が広く、緑が多い。で、予想以上に肌寒い。ある程度の心構えはしていたもののその想像よりも寒かった。かつてどうだったけと思い返してももはや忘れている。車移動の最中、ぼんやりと外を眺める。信号もほとんどなく、結構な速度で車が走る。この感じだなぁと思う。

名前だけは知っていたけれど詳しくは知らなかったことについて。仕事上とはいえ、少しでも触れることができるのは凄く有難い。というか、本当ならば自分から学べるはずだったことなのに、学ぶこともせずにスルーしていたことが恥ずかしいほどである。

穏やかで、おおらか。突っぱねることなく、あるがままを受け入れる。そうやって取り入れて自分たちの文化に組み込んでいく。ハイブリッド。そういう風にたやすく言葉にできることの寛容さ。ある意味でそれでも揺るがないという自信もあるのだと思う。自信というか、自らの文化への信頼だろう。思想、歌、踊り、いずれも素晴らしく、学ぶことが多い。わずかな時間とはいえ、触れさせてもらえたことが貴重だった。

で、しばし仕事の合間の休憩時間。観光地ではありつつも、観光の名所を外れて、地元の方が住む町の通りを歩く。地元の人が入る共同浴場があり、そこに行きかう住民同士が「こんにちは」とあいさつを交わしている。穏やかな夕暮れ。その共同浴場の近くに地域猫がたまっている場所があった。人をあまり警戒しない。僕みたいな余所者が少し近づいても、じっとは見ているものの逃げ出したりしない。地元の人たちも当たり前のように猫たちを受け入れているのかもしれない。気分は岩合光昭さん。そんな感じでスマートフォンを向ける。

夜は宿泊先の温泉に入らせてもらう。心地いい。露天に行くと、冷たい空気で身体がこわばるけれど、風呂に入ると身体はあったまる。顔の冷たさと身体の温かさ。それがまた気持ち良い。

その翌日は、また、別の地域へ移動。そこもまた、かつて少し訪れたことはあったけれど、ゆっくりと町を歩いたことはなかった。太平洋に面した海沿いの町。たまたまかもしれないけれど、陽射しも強く、前日までの地域とは打って変わって半袖でも汗ばむような感じ。漁港のある海沿いを歩けば汐の匂いがする。

夕方、早目の夕食。宿泊先の近くの居酒屋へ。お酒の提供があった。19時半まではお酒の提供ができるのだという。そのあたり、少し都内とは違う。考えてみると、お店で酒を飲むなんていつ以来だろう。とはいえ、20時で閉店なので、ほどほどに。店を出てから仕事関連の人たちとは解散。少し酔い覚ましもあり、町を歩く。それがコロナ禍なのか、それともそれ以前からなのかわからないが、町は人もまばらで静かな様子。駅の方へ行くと、ベンチに学生がたまっている。塾帰りの人たちが次の汽車を待っている。電光掲示板を見ると汽車が来るまであと15分ほどある。スマホのゲームにお互い目を落としながら、会話をしている。

駅舎を横断して、線路の反対側へ降りると、目の前に巨大なドン・キホーテがあった。かつては別のデパートだった建物を丸ごと買い取ったのだろう。その隣にはこれまた巨大なパチンコ屋。で、そこに駐車している車の多さ。おそらく想像するに、地方都市のどこにでもある風景なのだろう。個人的にはそんなことはないのだけれども、娯楽が少ないと悟る人たちが、パチンコに夢中になるのは、僕がかつて地方都市に住んでいたころも同様だった。それは今も変わらないのだろう。再び駅に戻ると、駅前の塾にはまだ学生が勉強している姿があった。駅の壁に映画のポスターが貼ってある。「サマーフィルムに乗って」のポスター。ここでも観れるのか。多くの人に見られることを願う。

なんやかんやで四日間の出張。過ぎてしまうとあっという間だった。帰りの飛行機は夕方時。あっという間に羽田近くへ戻ってくる。ちょうど、日が暮れかかるタイミングで高度が下がっていく。夕日が窓から差し込んでくる。空の上、真横のような場所から見つめる夕日はとても綺麗で、雲の下の海や、ごみごみした都会の街の風景も、なんだか愛おしく見えてくる。

そんなこんなの四日間。