東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『自転車の修理など』

土曜。朝、起きてご飯を食べていると、娘から自転車がパンクをしているようなので、一緒に自転車屋さんへ行って欲しいと言われて、久しぶりに娘と二人ででかける。確かに娘が押す自転車は、前輪も後輪も空気が入っておらず、べこべこしている。

土曜の朝、陽射しも気持ち良く、のどかな感じ。住んでいる場所は、散歩するには適した街で、地元の人も歩いているし、わざわざ東京散歩にやってくる人もいる。以前に時々行っていた自転車屋さんは閉店してしまっていたので、それと別の店へ行く。事情を説明すると、「とりあえず空気いれてみよう」ということになり、空気をたっぷりいれてもらう。「これで様子見てください」となり、終了。

自転車を快適に乗る娘。最近、オープンしたというおにぎり屋の様子を見に行ってみた。店の前に数名並んでいる。やはり混んでいるようだ。といっても、買うわけではなく、横目に見ながら通り過ぎる。

小6の娘はまもなく卒業。コロナのこともあるけれど、受験をする子たちも多いようで、学校にちゃんと来て授業を受けている子はそれほど多くないのだという。時代だなぁ。小学校最後の学期とはいえ、人によっては通過点でしかないのだな。まぁ、それも人それぞれの考え方だし、娘だって、ちょっと体調が悪くなると、リモートに切り替えている。ただ、学校に行くと、来ない人の分、余っている給食をたくさん食べれるらしい。

僕はそれから仕事。パソコンのACケーブルが断線したのか電源がつかなくなり、面倒なので家電量販店で代用のACアダプタを探す。驚いたが7,8千円もする。高い、が、背に腹は代えられない。それから諸々仕事。仕事先で、関係者と話をしていて、やはり現場に出ていろいろ人と会わないとダメだと痛感する。文字は情報。コミュニケーションのツールではないのだな。出会わなければならない。

仕事が終わって、帰宅。zoomで別の打合せ。人と対面するということと真逆のような打合せ内容。しかしそれがビジネス。それもそれ。終わってようやく一息。

先日、テレビの「クレイジージャーニー」を観ていたら、アフリカに暮らす、伝統的な生活を重んじる民族の中に、カメラを持って入る写真家の紹介をしていた。その写真家が、その住人の方たちと溶け込むために意図的にする行動が、その住人の人たちと同じ扮装をするということだという。つまりほぼ裸でいる方々たちの前では、写真家も裸同様になる。実際にその行為をしてみると、住人の方たちは、大変喜び、その写真家の手を取り、歓迎の踊りの輪の中に誘い、共に踊り始めた。その踊りが伝統的なものなのか、即興のものなのかはよくわからなかったが、『仲間』として受け入れる行為が、言葉のやりとりではなく、同じ場所で、同じ時間に、身体を共に動かす行為であることが、先日知った集団心理の中の『同期』と通じるものがあり、伝統的な生活を重んじる民族の中に、しっかり根付いていることに心から感心した。そもそも言葉は通じない。その中で、写真家という異物を受け入れる行為が、共に身体を震わすことであるということ。

仕事先の人と踊るわけにはいかないが、会って話すことはできる。