東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『生きていればなんとなかなる』

少しだけ、若い人に向けて、お芝居に関して話をする機会があり、それに向けてA41ページくらいの、練習用の台本を書く。あくまで演技の練習をするうえで、比較的読解力が必要で、かつ、制約があるなかでもお芝居の自由度がありそうな設定。それと1分間で、自己アピールをしてくださいという課題を事前に伝えておく。

この1分を、どのようにとらえるか。やってみるとわかるが、大半の子たちがやはり練習はしてこない。1分という時間に対して、真摯に向き合った子はほぼいなかった。もちろん、なんとなく、こんなことを話そうかなと決めてきた人たちはいたとは思うが、それを言葉にして、実際に1分でまとめる練習はしてきてないだろうと想像できる。まぁ、そういうものだろう。ただ、素振りを本番同様で出来ない人は、本番に力を発揮できるはずがない。そのことをできるだけ話をしてみた。

そして、台本を少し演じてもらい、自分が感じたことを助言。僕は俳優の専門的な技術のアドバイスはできないので、思ったことを伝えることしかできないけれど、できるだけ、その個人に向けた助言を心がける。面白いのは、同じ台本でも、演じ手の子たちで、捉え方も違えば、表現の仕方も変わること。久しぶりにそういった感覚を味わう。それはそれで個人的には刺激を受けるし、考えることもある。

ただ、それをうまく伝えることができたかどうかは、難しい。こういうのも、やはり教え手の技術があると思う。そういうのが自分にはないから悩ましい。果たしてどのくらい響いてくれただろうか。少しでも、何か、自分の演技を考える機会になっていればと思う。

2時間程度、人前で話をしたり、お芝居を観るのは、やはりぐったりと疲れる。そのあと、事務所で仕事をしていても、なんだか集中できず、ぼんやりとする。

それから、別の用件があり、赤羽へ移動。少し時間があったので、昼と夜を兼用の昼食。赤羽の商店街は夕方から賑わっていて面白いのと、なんだか良い具合に煩雑でごみごみしたアーケードがあり、面白い。町の中華屋さんかと思って入った店が、日高屋の系列だった。まだ日があるうちから、地元の方がわいわいお酒を飲んでいた。肉野菜定食を食べる。それから娘から頼まれていた夏休みの宿題の採点をする。一人、中学1年生の英語のテキストに赤字で丸を付けている姿は、周りからみるとちょっと滑稽ではなかっただろうか。

その後、とある仕事のご縁のライブを拝見。始まりは10年前。それの始まりに携わっていた。今回で一区切りということで声をかけてもらい、ライブを観に行く。10年経てば歳も取るし、いろいろな変化がある。コロナもあった。僕らを取り巻く環境も変わった。僕は途中でその企画から離れたが、それも環境の変化。区切りをつけることも決断の一つ。とはいえ、10年、それを続けたことはとても立派だ。急なサプライズで、ライブの終盤に花を渡すという役目を担ったりして、恐縮したけれど、とても胸が熱くなった。「とにかくみんな生きて、そうしていれば、なんとかなる」そんなことを、ライブのMCでも言っていた。僕もその通りだと思う。

赤羽から帰る時、21時過ぎていたけれど、まだまだ暑かった。