東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『賑やかな街へ』

朝、7時半過ぎ、起床。モタモタと起きだす。8時過ぎに、年明けに整理していた粗大ごみの回収が来る。ある程度、スッキリとする。時々、こうやって不要な物をまとめるのは必要だなとつくづく思う。

職場に行き、事務作業、いろいろ。ある程度、余裕をみて仕事をしているつもり。そうしておかないと、忙しくなったら対応が出来なくなる。今年は、去年と同じことはできるだけせず、新しいことをできるだけするように努めたい。

午後、仕事で、少し神奈川のほうへ。JR京浜東北線に乗って。乗った電車が空いていると思ったら、蒲田駅行きだった。乗り換えてさらに神奈川方面へ。駅前がにぎわっている街、アーケードのある商店街もあり、焼き肉の店や、居酒屋など、雑多に賑わっている。それはそれで楽しそうな街。

仕事が一区切りついて、仕事昼食と夕食を兼ねた食事を、商店街の中の「野郎ラーメン」というチェーン店で。野菜炒め定食があり、それを注文すると、暴力めいた量の野菜炒めが出てくる。20代であれば、それはそれで満足するかもしれないが、さすがに40を超すとやや苦しい。まぁ、食べきったけれど。

それから、駅前のカフェでメール作業など。胃に血液がいっていたせいか、眠気が襲う。松本人志さんの報道が連日いろいろと騒がしい。個人的には、立川志らくさんがXでポストしていた意見に同意。もちろん、人によって、意見は様々だろうけれど。

個人的な見解として、その人が作った作品が面白ければ、作家の性格などはどうだっていい。というか、物を作り出す人は、どこかしら普通ではない感性だろうと思っているので。もちろん、普通でないから非常識なことをして良いわけではなく。作品と、本人の性格は別物だというだけ。だから、その人が何をしようが、その作品は作品として評価されればそれでいいし、薬物やら何やらで、出演者の一人が何かしても、その人のために、作品が見れなくなるようにする必要は毛頭ない。

SNSが主流になってから、パーソナルなところが重視されるようになってきた。それはそうだろう。その人自ら発信できるのだから。どんどんと「その人が作るから、その人が出演するから、作品を観る」になってくると、「作品そのもの」の評価がぶれるし、作品づくりに支障が出てくる。なぜなら、登場する出演者にできるだけ、華を持たせないとダメになるから。そういう流れを汲み、キャスティングされる舞台や映像作品が、キャストに寄り添うように作られすぎてしまうことは、作品を貶める可能性もある。もちろん、一概には言えないのだろうけれど。

そんなことを、野菜炒めで腹いっぱいの中でぼんやりと考える。

カフェを出て、ブックオフがあったので店内を物色。「告白 コンフェッション」と「七夕の国」を読みたくて探したが見つからない。僕はこういう本屋で、目的の本を見つけるのが苦手だ。そこで店員さんがいたので、該当の本があるかを訊ねたところ「少々お待ちください」と頼もしい対応。きっと端末で在庫を調べてくれるのかと思いきや、一緒に本棚を探してくれるのだった。一生懸命探してくれている。棚の一段一段を、食い入るように見てくれている。なるほどなぁ。そうきたか。結果的に「・・ないですねぇ」。心からの「ありがとうございました」を伝えて、ブックオフを出た私でした。