東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『暗闇に守られている』

朝7時半頃、一度目が覚めたけれど、もう少し寝たいと布団にもぐりこむ。次に目覚めたら9時を過ぎていた。久しぶりにゆっくりと目覚める。ご飯を食べつつ、洗濯機を回す。通常の洗い物と、そのあと、もう1回まわす。冬物トレーナーたち。そろそろお役御免になりそうなので。

洗濯ものをベランダに干し、それから小説とエッセイをリュックにいれて新宿御苑へ。今日も盛大に混んでいた。横目にパスポートで入園。日向の、端の方のあまり人の多くない場所に陣取る。敷物を敷いて、ゴロゴロと横になり、島尾敏雄さんの「死の棘」を読み始める。思ったよりも長編。焦ることなくのんびり読もうと思う。途中、昼寝をしたり、lineがきたり、電話がきたりを繰り返す。

風が心地いい。ぼんやりしていると、鳥の囀りが聞こえる。それでまたうとうととする。日差しがまぶしいくらいだけど、そこまで暑すぎず、程よい。一気に日焼けする。16時過ぎ、荷物をまとめて御苑から出る。まだまだ猛烈に並んでる人がいた。人気スポットなのだな。

「死の棘」の第一章を読んでから、気分転換に、もう一冊持ってきた小栗康平監督のエッセイ「哀切と親切」を少し読む。久しぶりに手に取った。若いころ、映画館の暗闇の中で観た映画の喜びを胸に、映画の世界へ飛び込む。35歳で初監督作品を撮るまでの間の、助監督時代のいろいろと淡々とした言葉で綴っていく。

しかし、長じて幸運にもこうして一本撮ることが出来たとき、身に沁みて思うことは、撮影時においてもまた映画のあらゆるカットは暗闇に守られている、ということだった。現実において、出来ることなら人々の失意や悲嘆にぶしつけなまなざしを注ぐまいとするその同じ私たちが、映画において人の姿と感情をまじろぎもせず凝視できるのは、暗闇に我が身を隠しているという大きな許しのもとになされてりうからではないのか。

こういった言葉に出会うことは本当に幸いだ。


それから池袋へ行き、娘が参加している舞台を観劇。舞台上でのパフォーマンスの仕方など、手慣れた人と、そうじゃない人の違いは、なんなのだろう。ひとまず、観ていて、落ち着いている人が、こちらも安心する。娘にとっても多くの他者の前で、何かを発表するという機会は貴重なものだと思う。単純に、僕なんかが、学生時代にやっていたころよりもしっかり頑張っているわけで、それを中学時代にやっていることが頑張っているなぁと思う。芝居に関する評価とは別に。

それから仕事で渋谷へ。陽が落ちると冷え込んできており、薄着だとやや寒い。夜の渋谷はそれはそれで人が多い。

帰宅して、筋トレしたり、少しのんびりしたり。なんやかんや45歳になる。人生のどのくらいまできたのか定かではないが、さすがに折り返しは過ぎている。渋沢栄一はまだ洟垂れ小僧と言っていた。まぁ、まだまだいろいろ楽しんで良い時期なのだろう。ともかく健康第一。

まだ桜はそこまで咲いてはいないものの、今日は良い一日でした。