東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母の施設へ』

朝6時45分に起床。朝食を食べて、家を出る。母が移動した施設に行く。

雑司ヶ谷から、所沢行きの地下鉄がちょうど着て、それに乗る。各駅停車だったけど、少し余裕を持ってでたので、急ぐ旅でもなかったので、読書をしつつ。山田太一さんの「終わりに見た街」。スマホkindleで読む。本をめくる手ごたえはないものの、片手で読めるのはお手軽。ただ、下部に「現在、○%」という表示がでるのはちょっと嫌なので、ページ数が表示されるように変更。

小一時間で、目的の駅に到着。のんびりとした駅。駅前も長閑。駅から1.2キロくらいなので、ひとまず歩く。日差しは暑い。中心地を走る道路は、車で混雑している。まっすぐ進むと狭山方面へ。右に曲がると川越へ通じるらしい。いまいち、自分がどこにいるのかわからない。ただ、狭山の近くで、茶畑がちらほら見えており、通り沿いにも茶畑があり、そこで写真をパチリ。見え方によっては非常に長閑な町を旅しているように見える。

そうこうしているうちに、施設に到着。兄と合流し、一緒に施設へ。入り口のすぐ目の前に広いスペースがあり、テレビが置いてある。そのテレビを見る数名の住居者の方々。そこに母もいた。今回、面会が出来るかわからないかったけれど、ひとまず状況を知りたいと来たが、すんなり会えた。

母はやや小さく丸くなっていた。血色はよく、ひところよりは肉付きもよくなっているように見える。会話もしっかりできるが、それでも聞き返しがあったり、同じことを繰り返すことは少しある。

僕らが、ホームの責任者の方と話をして、契約のことや薬や着替えが必要なので、保険証とお金を渡したとき、母の表情がやや険しくなった。僕らのやりとりをきちんと理解できておらず、何か不当なことをされていると感じてしまったらしい。その時、ホームのそういう時間なのか、テレビのチャンネルを変えて、ラジオ体操のようなものを始めた。DVDで体操している動画のようなものがあるみたいで、いくつかの音楽に合わせて、レオタード姿の女性が歌を歌いながら踊る、NHKのラジオ体操みたいな映像。「明日があるさ」を歌いながら、女性がラジオ体操のように手を上下している。それに合わせて、施設の人たちもおのおの踊っている。踊ってない人もいる。その横で、手続きに必要な支払いを兄がしており、その兄を心配そうに、そしてホームの人をいぶかしがりながらじっと見ている母。不思議な空間だった。

諸々終わって、ホームを出るとき、椅子に座っていた母は、入口まで見送りに出てきてくれた。このホームは、面会にそこまで厳しい制約は無さそうで、「いつでも来れますか?」と聞くと「ひとまず電話くれれば」とゆるい印象。日々、不規則な仕事をしている身としては有難い。

帰り道、兄といろいろ話す。とりあえず、支払いは大丈夫なのか訊ねると父の貯蓄が余裕であるらしい。亡くなった父に、今も支えてもらっていることのありがたさ。いつまでも面倒ばかりかけている。

兄から昼食を食べようと誘われ、所沢で下車。駅ビルの中で、兄にお店を選んでもらったら、かわいげな洋食屋をセレクトされて、周りは女性や、子連れが多い中で、おっさん二人で、ハンバーグを食べる。互いの近況など。兄の話を聞いていると、僕なんかよりハードそうな仕事っぷり。頭が下がる。そして、今もまだ、ふるさと納税などを税金対策でやっているらしい。そのうえ、住宅ローンを支払い続けている人向けの、なにやら減税手続きもあるらしく、「トータル○万円返ってくる」と教えてくれるが、そういうことをまったくやってない僕は、呆然とするしかない。

兄と途中でわかれてから、池袋まで戻り、そこから思い立って、新宿御苑へ。真夏の御苑。敷物を敷いて、本を出す。この日差しの中で、スマホで本をみたら、多分、スマホがぶっ壊れる。中勘助さんの「犬」。なんとも壮絶に酷い話。大正時代、ぶっ飛んでいるなあと思う。どこか、手塚治虫の描く作品を観ているような感じ。正義感が似ているというか、人の命が、誰であれ平等であるように思う。

読みながらいつの間にか寝てしまい、小一時間経って、目が覚める。起きると、ちょっと引くほどの汗をかいていた。敷物に、ちょっとした水たまりができるほど。さすがにどうにかなりそうなのと、雷が鳴り始めたので、敷物をたたみ、ベンチのある木陰に移動。暑さは当然あるけれど、小雨降る御苑は心地いい。

夜は、地元のカフェに移動し、仕事したり、再び読書したり。それから買い物。しばらく改装で閉まっていたハナマサが復活していた。以前よりも冷凍食品が充実している印象。

キムチとポテトチップスとビールを買って、帰宅してから筋トレ後、晩酌。一杯だけで酔いが回り、0時過ぎに横になったら、そのまま寝落ちしてしまった。