東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母の退院』

朝、窓から眩しい日差しが入ってくる。それで目が覚める。実家のいつもの風景。シャワーを浴びて、母の着替えを持って家を出る。全国的なものかわからないけれど、朝は冷え込みがキツイ。

病院に行くと、すでに駐車場はかなり混んでいるし、来院者も多い。入院患者の退院の手続きで、と受付で伝えると「患者さんのお名前と生年月日をお願いします」と言われる。不謹慎ながら、母の生年月日がうるおぼえで、曖昧に「72歳くらいで、
12月中頃で」と伝える。71歳で、12月18日生まれで、いろいろ微妙だった。いざというとき、きちんと回答できないのは情けない。

すでに兄はいて、諸々説明を受けていた。薬もやたらと処方されていた。病室からでてきた母はまた少し痩せているようで、元気はなかった。手術前に軽快に話していた様子はなんだったのだろう。僕の勘違いだったのか、と、思わんばかりに元気がない。出来るだけ母に声をかける。

再び、先日まで入っていた老健にご厄介になる。空いていて良かった。着替えなどを大量に持ってきたのだけれど、兄がいろいろ話して、全部レンタル品で対応してもらうことになった様子。もちろん、仕事なので、仕方がない気もするが、どことなく、受付の担当者の対応がドライで、手続きを待っている間、母が「トイレに行きたい」と言い、車いすから自ら立ち上がり、一人で歩いてトイレに向かった際、もちろん、危ないので、僕が手をつないで引率したのだが、それを見たその人が「危ないので、移動は基本的に車いすでお願いします」と言ってくる。そんなことはわかっているが、本人が立ち上がり、自ら歩いているわけなので、それを見届けるのも必要じゃないのか、と思うが、極めて事務的な対応のみだ。まぁ、仕方がないのだろうが。

ひとまず、母を再び施設へ預ける。エレベーターに母が乗り込むとき、こちらが手を振ると、母もずっと手を振っていた。どのようにすれば、回復していくのか。大量の母の着替えが手元にあるので、いったん、兄と実家に戻り、入院中の衣類を洗濯。それが終わって、兄を車で送る。道中、「母がこの先、きちんと回復する見込みはないのではないか」と兄が言う。それもそうかもしれないが、しかし、悩ましい。もちろん、今の生活をしながら、全てを受け入れて母の介護をするのは難しい。それから兄と世間話などもする。ふるさと納税を駆使することで、税金対策になると、兄がいろいろ説明してくれるが、まったく理解できなかった。

兄と分かれて、少し、海でも見たくなり、帰りがてら、葛西臨海公園へ。日中、日が出てくると外は心地いい。来園者も多く、それぞれくつろいでいる様子。実は、夏にここに来た時、ブレスレットの落し物をしてしまい、見つかるかなと、心当たりの付近を捜してみたが、まったく見つからなかった。徐々に日が暮れてくる。16時を過ぎると、一気に日が傾いてきて、やや風も冷たくなってくる。橙色の夕日が、海にゆらゆらと光って眩しい。

やや眠気が襲ってきて、少し眠る。朝が早かったからかもしれない。