東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『縦に流れる血/しとやかな獣』

土曜日。久しぶりに背広を着て埼玉は大宮へ。従兄弟の結婚式に呼ばれたので嫁松と行く。母方の従兄弟の大半が出席する大規模な式で、故郷の鹿児島からもたくさんの人が来ていた。北海道の大学に行ってしまって以降、すっかり家に寄り付かなくなった僕は、当然親戚筋との交流もなく、数十年ぶりに顔をあわす親戚たちもいた。
それぞれ結婚したり、すでに子供がいたり、はたまたほぼ音信不通のような暮らしをしている親戚もおり、それもまた人それぞれ。鹿児島や宮崎で暮らす親戚たちはお酒が大好きで、たくさんのアルコールと薩摩言葉の入り乱れる会話で終始にぎやか。子供の頃は長期休みのたびに九州に帰省し、その都度一緒に遊んだ従兄弟たちも、今はすっかりおっさんになっている。その従兄弟たちが連れている子供同士が集まって遊び始める姿を見ると、それがかつての自分たちと繋がって見えてくる。僕らも、酒を飲み、笑顔でしゃべる大人たちを横目に子供同士で集まり遊んでいた。数十年を経て、僕たちが酒を飲み、子供たちは子供たち同士で遊ぶ。
鹿児島で暮らす叔父がほろ酔いで言う。「少しでも同じ血が流れている子供たちはやはりかわいい」。親戚っていうのは不思議な距離感だと思う。家族ほど親密ではないし、たぶん他人に近い感覚ながらも、血という根拠でつながっている、少なくともつながっていると思われている。
僕自身、数年前に個人的な諸々で親戚の人たちに迷惑をかけたのだけど、全員が全員、適度な距離感で僕に接してくれて、それが本当に有り難かった。
縦に流れる血と、横でつながる意識。
ずいぶんと久しぶりの交流だったけど、楽しかった。なにより結婚式はやはり幸福な気分になる。

日曜日。たまっていた洗濯物を洗い、掃除機をかける。発情期に入ったみぞれが至る所に匂い付けをするのでそれを掃除したりもする。

職場の方から借りていたDVD、川島雄三監督の『しとやかな獣』を観る。小悪党しか出て来ない映画。1962年という時代、団地というある種の幸福の象徴とされるべき場所をあえて舞台にし、9月だと言うのに蒸し暑い息苦しい環境が用意され、4人家族が話の焦点になるところは、明らかにその当時の家族構成および歴史背景が意識されていると読める。そして父親は明らかに戦後を生きている人物として描かれている。団地の一部屋のみを舞台とした90分ほどの映画の中で、2度のブレイクがある。1度目は薄気味悪い夕暮れの中でTVの映像と能楽の音楽に合わせて踊り、2度目は父と母が部屋の灯りを消してビールを飲む件で、どちらもそこに至るまで続く会話劇とは異なるアクセントを映画の中に与えているように思える。映画の後半、家から帰ろうとする小説家を引き止めようとする父と母の足元の画が、能のすり足のようになっているところとか、会話をしている切り返しの画で、突然、さっきまで違う位置に立っていた男が、アングルが変わった瞬間に別の場所に座っている場面があり、そういうところの『遊び』も面白い。主要なキャストの切れっぷりは本当に味があるし、ワンシーンのみの登場の小沢昭一さんやミヤコ蝶々さんの自由な按配の演技もいい。面白い作品だ、これ。

久しぶりにのんびりとした週末。いくら寝ても眠い。