東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『1000のの小説とバッグベアード』

M君から薦められて伊坂幸太郎さんの『砂漠』を読んだ。伊坂幸太郎さんの作品、初読み。すっーと読めた。大学生という設定が個人的にはやはり好きなのだなぁと改めて思う。個人的に好きな作家さんの本は、読むのにある種のしんどさを抱え、結構時間がかかってしまうのだけど、『砂漠』に関しては2日くらいで読めた。多分、時間にすれば数時間のはずで、そのくらいページをめくらせる勢いが持続できる小説というか、これは多分、面白いということなんだとは思う。帯びに書かれた文章から想像するに、もっと麻雀ばかりをやる人たちの話なのかと思ったけど、飛躍的に時間が飛ぶ。リズムリズム。


それで、ってわけではないけれど、個人的にお勧めの作品をM君にも伝えた。その中の1つが佐藤友哉さんの作品。僕が初めて読んだのは『1000の小説とバッグベアード』。M君とメールのやり取りをする中で、M君が昨今の小説事情に対して感じるあれこれを書いてくれて、同感する部分と個人的に諸々思うこともあり、それをぼんやりと考えている最中に、本屋で『1000の小説とバッグベアード』を手に取り、それを読み、個人的には劇的なほどタイムリーに、小説(を取り巻く環境やら)に関して思うことを、小説の形を取りつつ、考え、悩み、著者の方なりの回答を提示していると思われる作品に出会えたなぁと思い、速攻でM君に『是非、読んで欲しい』とメールをした。
作品は、物語を展開させる序盤から、中盤にさしかかり急激にひねりが加わり、後半は物語の収束よりも、主人公の内的な心情を綴るモノローグのようになっていく。灰汁の強い書き方をするところもあるし、ストーリーを重視して作品を読む方にはもしかしたらすっきりしない作品かもしれない。でも、読ませるのは、当時27歳の著者の熱というか、文章を刻むことへの強い意志を感じるかで。

M君の思うこと。僕の思うこと。佐藤さんの思うこと。それぞれに違いはあるだろうけれど、おこがましいことを言えば同じ地平にある気がする。だからこそ刺激を受ける。というわけで引続き『子供たち怒る怒る怒る』を読む。


仕事を辞めて家でゆっくりしている嫁松である。その嫁松が家にいると夕刻あたりに、近所に住むTパパさんが尋ねてきたそうな。犬好きのTパパさんは、そこで「犬を散歩に連れて行かせてくれ」と頼んで来たらしい。そこで嫁松が糞を片付ける為のゴミ袋などを用意しようとしたら、Tパパさんはポケットから一式を出して来たらしい。用意万端。Tパパさんに犬を託して、いざ出発したらしいのだけど、3分ほどで戻って来た。犬が渋るのだという。そこで嫁松も散歩に同行することに。Tパパさんは犬をかわいがってくれるのだけれども、どういうわけか犬はTパパを敬遠している。まさか散歩までも拒むとは思わなかった。判らないのはTママさんには異常に甘えることで、2人そろって散歩に出かけた際に、ひとまずTママさんのところに寄ったらしいのだけど、Tママさんが表に出てくるやいなや興奮した犬は例によってうれしょんをし、腹をみせて甘えたのだと言う。一方、Tパパさんが「お手」といってもことごとく無視を決めこむ。この猛烈な差はなんなのか。犬の判断基準がまったく解せない。難しいものだし、Tパパさんがさすがに気の毒な気もする。