東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『その日から』

tokyomoon2011-03-14

仕事が、ひとまずの一区切りがついて少しほっとしていた。とはいえ、すぐに次の週までに仕上げねばならないことはあったので、そのこともぼんやりと考えていたけれど、大学時代の友人からすごく久しぶりにうれしい誘いのメールが来たりして、気分的にはいつもに比べて浮かれていた。久しぶりにブログを更新する余裕もあった。


最初は、なんとなく揺れているくらいで、いつもと変わらないと思っていた。それがいつもよりも長く続き、とりあえず職場の外へ出た。外には同じ様に、外へ非難して来た人たちがいて、見上げれば電信柱が揺れていた。社内に戻るとまたすぐに揺れた。


テレビの中に映る映像が、実際に体感している揺れの線上にあることは理解しながらも、どこか現実感がつかめないでいた。あまりにも想像を超える映像が目の前にあり、それをただ見るしかできなかった。


携帯電話はすぐに電話がつながらなくなり、会社の固定電話から山形に帰省している嫁氏に電話をかけた。つながらず、埼玉の実家の母に電話をするとつながった。嫁氏に、PCからメールを送るとそれに対する返事がきた。


その日は会社に泊まることにした。職場の人と夕食を買い出しに行こうと外にでると、いつもとは比べられないほどの人と車が街を埋め尽くしていて、コンビニの食料はどこも品切れ状態だった。なんとなく見上げた空は、雲なんか全然なくて、やけにきれいな夜空だった。


友人たちが送ってくれたメールが心強かった。
twitterの情報がとても早く、初めて便利だなと思えた。


土曜の早朝に、東京メトロで池袋に帰った。まだ帰れない人たちが、駅構内でうずくまっていた。家に残していたネコのみぞれも無事だった。ある程度は覚悟していた家の惨状だったけれど、特に何も被害はなくほっとした。職場でも寝たのに、やけに疲れてまた寝た。


昼頃目覚めて、嫁氏に電話をしたがつながらず、嫁氏の実家に電話をしてもつながらなかった。メールで無事を確認していたので、不安はなかったけど、どこか心がざわついたので、家を出た。T夫妻のところに無事を伝えにいきつつ、ネコのけだまのお墓に行った。それから鬼子母神の大公孫樹を見て、大鳥神社に行った。家常さんから、万が一の時は避難場所に集まろうとメールをもらって、僕もそこに行こうと思った。


家に帰って、みぞれと一緒に寝た。


誰かと会って話しをしたかったけど、腰と足が痛く、家にいた。普通に洗濯をしたり、掃除機をかけたりした。夜になって外に出ると、日曜の池袋なのに、人はほとんどいなかった。


重苦しい気分になる。現実とは思えない映像が、体感した揺れの延長上に、確かに存在して、今もそれは続いている。僕が出来ることは、それほどなく、今は、いつものように過ごすしかないと思う。見てみぬ振りをするのではなく、この状況を受け止めつつ、ともかく、今、やらねばならぬことをやりながら。