東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『やる気が起きない土曜』

朝7時30分、起床。朝食を食べて職場へ。土曜で、ある程度余裕があり、少しのんびり仕事をしようと思って作業。

昼前、仕事関連の連絡があり、前向きな気持ちに。声をかけてもらえることは嬉しい。

と、午後に別の連絡。うーむ、なるほど。そうきたか。とはいえ、まだ噂レベル。が、噂もまったく何もないところに出てくることはないだろう。きっと何かしらは預かり知らぬところで動いてしまっているのだろう。聞きたくはないことだが。

で、こういう時に限って、仕事も、うまくいかないことが続く。こういうのは連鎖するなぁとつくづく思う。

 

で、まぁ、そういうことを聞いたら、途端に何もやる気が起きなくなり、仕事が夕方から手がつかなくなる。ただただ時間が過ぎていく。

勤務時間、終了をして、ふらふら帰路へ。昼も食べてなかったので、猛烈に腹が減る。コンビニでチキンを食べつつ、スーパーでおにぎりやサラダを買い、カップ焼きそばと共にビールを一杯。猛烈に食べ過ぎた。「季節のない街」3話を見つつ。原作のいくつかの話をミックスしてアレンジされている。半助はやがて原作通りになってしまうのだろうか。いずれのエピソードもどこか淋しさがある。

食べ過ぎて、横になっていたら、そのまま、いつのまにか、寝落ちしてしまった。深夜、寒くて目が覚める。



『街に出ねばならぬ』

7:40起床。缶ゴミを捨てて、車で仕事へ。

朝、少し仕事の話し合い。やや、悩ましい事態。何かをする際、やったことの良いところを評価するか、できなかったことを指摘するか、バランスだとは思うのだけど、その相手をどのように見てるかに拠るのだろう。根本的に信頼してなければ、何をやってもアラしか目につかない。

昼、仕事の用事で新宿三丁目付近へ。ちょうどお昼時ということもあり、時々目につく公園には人がたくさんいる。子供より大人。ベンチに座り、昼食を食べてる人や、スマホを見てる人、そして何をしてるかわからない人。

とある仕事で話をしていたら、横から、別の仕事で別の場所でお会いした方と再会。こういうのはやはり行動してこそきっかけは生まれるのだろうな。もっと積極的に動かねば。

それから高円寺へ。かつて一緒にお芝居を作ったこともある冨江くんの舞台を、仕事のご縁もあり観劇。その後、冨江くんと少し話す。元気そうだった。どういう噂か、僕がやたらと疲れているという話を耳にして心配してくれていたとのこと。なぜ、そんな噂が。ひとまず元気そうで良かった。やたらと人が死ぬ舞台だった、そんな作品作ってる冨江くんも疲れてない?って聞いたら、「でも、楽しいです」とのこと。楽しければ何より。

それから職場へ。と、LINEに、ずいぶんご無沙汰の人から連絡が。今、海外で働いているのだけど、6月くらいに少し戻ってくるので、相談が、とのこと。LINEは便利だなあ。どこにいても連絡できるのか。僕なんかで何か相談を聞けるかわからないけれど、また連絡くださいとLINE。

夜まで仕事。日中に、どんどん外にいかねばと感じたものの、22時くらいにある仕事関係の場所へ行くことは挫けて帰宅。

母の入っている施設から、母が歩行困難になったという連絡。脚に痛みを訴えているという。兄にいろいろ任せてしまっているのが申し訳ない。

夜、ぼんやりして「正解の無いクイズ」を久しぶりに観たら、回答者に和田ラヂヲさんがいらした。

いつの間にか寝てしまっており、寒くて3時頃目が覚めて、布団へ。猫が丸くなっていた。まだ夜は冷える。

 

『いにょー』

朝7時40分起床。ゴミを捨てて、仕事へ。台所の蛍光灯が切れて、その切れた蛍光灯を区の施設の廃品回収ボックスへ持っていく。出社の時間に、切れた蛍光灯をむき出してもって歩く姿はやや違和感。

昨日気づいた、駅の近くに新しくできた公園の横を改めて通る。よく見ると、公園の入り口に碑のようなものがあり、ここが個人の方の寄付された土地だと記されている。あげたのか、土地。うちの家なんかよりもよっぽど広い。しかも駅近。まぁ、いろんな理由があろうと思うので、それはそれとして、なのだけど、太っ腹なお話。

普段乗る電車は通勤の方が多いのだけど、珍しく、通学の高校生の集団がいる。渋谷で、同じ制服の人が乗ってきた。友人なのか、お互い声をかけあうが、その言葉が聞き間違いでなければ「いにょー」だった。その人たちの独特の掛け声なのか、今の高校生たちに主流の言葉なのかわからない。

事務所で仕事いろいろ。穏やかに進むかと思いきや、やや、悩ましい事態。明らかに自分に非があれば諸々受け入れるが、飲み込みずらい指摘も多い。で、上司から「ガバナンス」という横文字を使われる。うっすらしか意味がわからず、「はぁ」と曖昧な受け答えをして、あとから意味を調べたが、個人的には好まぬ言葉だった。「タスク」とか「インライン」という言葉と同様に好きではない。その言葉というか、その言葉を得意げに使う感じが苦手なフレーズの一つに新しく加わった、「ガバナンス」。それらの言葉に比べたら「いにょー」の方が圧倒的に意味が無くて良い。

そのあと、やや、脱力しつつ、別の仕事。急遽、車で移動。と、天気が悪くなり、雨が降り出す。そんな予報だったっけ。しかも、結構強く降り出す。それもそれでなんとも気分が萎える。

仕事が終わって、買い物をして帰る。新しい蛍光灯も買う。1400円もした。蛍光灯ってそんな高かったか。いつも忘れたころに買うので、値段をあまり把握していない。

筋トレしつつ、ドラマ『滅相も無い』を観る。面白い。雨が降ったせいか、今日は気温がやや低い。

 

『雨の予報だった日』

朝7時35分起床。起きて、朝食を食べる。昨日の仕事で持ち帰った車で出社。普段通る地元の近くで、先日まで工事をしていた場所が小さいな公園になっていた。てっきり新しく家が建つのかと思ったら。区の敷地だったとは。箱庭みたいな感じだけど、それはそれでいいもののように思う。

昨日までの予報だと、午前中少し雨が降る、という話だったけど、いつの間にか雨マークは無くなっていた。やや雲は厚めではあったけど、雨は降らなそう。

原宿付近まで来て、それまでずっと工事中だったビルの周りが人でにぎわっていた。なんだかオープンしそうな賑わい。と思って、検索をしたら、まさにこの日がオープンの日だった。よもや以前は、コンドマニアがあった角地が、新しい商業ビルに変わるとは。渋谷近辺は本当に目まぐるしく日々スクラップアンドビルドが繰り返される。

事務所に行き、昨日、突如マウスポインターが消えた件を会社で社員の人に相談。どうも、無意識に、パワーポインターの表示をオフにするショートカットキーを押してしまっていたらしい。そんな偶然あるのか。とにかく、無事、パワーポインターは復活。壊れたわけじゃなくて良かった。

昨日までできなかった事務作業をする。集中して、一気にガツガツやる。途中、やや集中力が切れかけることもあったけど、出来る限りの仕事を一気にやりきった。日差しが入って心地いい午後。雨にならなくてよかった。サニーデイサービスの新しいライブアルバム、その名も「LIVE!」を聴きつつ。最高にテンションが上がるアルバム。最後までずっとパワフル。19時過ぎ、ガス欠。しかし、いろいろやりきった。そのあとは、宇多田ヒカルのベストアルバムを聴きつつぼんやり。

帰宅して、夕食を食べてから筋トレしつつ、ぼんやり。と、九州で強めの地震の報。昨日は中部、関西圏で雹交じりの雨が降ったようだし、なんだか、いろいろ起きる。

 

『貴重な仕事』

朝7時30分起床。まだちょっと頭痛がする。朝食を食べてから、車で仕事先へ。想像よりも渋滞で時間がかかる。朝の都内は油断ならない。

ちょっと、雲の多い天気かと思ったけれど、晴れ間がでてきて気持ちが良い。

とある仕事。滅多にない現場があり、これはせっかく(もちろん仕事だけど)なので、現場へ。全体的に緊張感があるような、普段の仕事と変わらないような。

クレバーの人は、あまり悩まない。ビジョンが見えているかのように、スパスパと意見を言っていく。もちろん、それが全部良いわけでないとは思うけれど、頭の回転の速さというのは、うらやましいなぁと思う。

モノ作りは、一人のクレバーの指揮者と、それを具現化できるメンバーが周りにいることが素晴らしい構図だと思う。

こういう現場を見学(繰り返しだけどちゃんと仕事)できたことは有難い。終わったら妙にお腹が空いて、スーパーでパンをやたらと買ってしまう。

夕方、風が強くなってくる。気温よりもやや肌寒く感じる。で、また、夕方にやや偏頭痛が出てくる。今日のコレはやや思い当たる。

語気の強さで押し切ろうとすることは、振る舞いとしてみっともないと思う。物事の正解は難しい。状況によって正解の意味合いは変わってくる。人の受け取り方によっても正解は変わるが、おそらく今日の件は、正解ではないことを語気の強さで押し切ろうとしたと思う。

仕事中、パソコンで作業をしていたら、突然マウスポインターが消滅して、まったく見えなくなる。そうすると、まったくパソコン作業ができない。幸い、パソコン画面をタッチパネルのように触れて操作できるので、かろうじて多少の作業はできるものの、極めて不便。どこへいったマウスポインター。

帰宅して、筋トレ。なんやかんや良い時間に。夜は風が強い。

 

『偏頭痛がする』

 

朝7時40分起床。朝食を食べて、車で仕事先へ。今日はいくつか仕事先を移動。都内を上へ下へと。日中は結構陽が出て、半袖で良いくらいの陽気。夕方になり、少し冷えてくる。日が暮れかけて3つめの場所へ。

そこで、仕事先の人と少し話をする。いろいろなタイプの人がいるが、うまい話を持ち出しては、場を混乱させるタイプの人がいるという。確かにそういう人もいるなぁと思いつつ、自分は、そういう人を見抜くのがあまり得意じゃないのか、「甘いですよ」と指摘を受ける。気を付けねばならない。

話をしていたら、途中からやや頭が痛くなってくる。久しぶりに唇に口内炎ができてきており、身体も疲労がたまっているのかもしれない。帰りに、コンビニでチョコラBBを購入。口内炎にはチョコラBB.

家に帰っても偏頭痛がおさまらず。少しだけ横になろうと思ったら、いつの間にかそのまま寝てしまい、目が覚めたら朝4時だった。こういう眠り方をするから、体力も消耗するのだろう。這うように布団へ。

 

『イニョン』

朝9時前、猫に餌をせがまれ、顔を肉球で押されて起床。餌をあげて、朝食を食べて、布団を干す。空は快晴で、ベランダで猫が寛いでいる。と、娘もまた同様にベランダで寛ぎはじめていた。

玄関をブラシとホースで洗い、庭の草むしりをする。家の前を、ご年配の女性が、僕と同い年くらいの女性に手を引かれて散歩をしていた。あれは娘さんか、それともヘルパーさんだろうか。ゆっくりと歩いていた。母は元気にしているだろうか。まったく顔を出せていない。土日に面会が出来ないのが悩ましい。

今日も今日とて、新宿御苑へ。敷物を引いて、昨日の読書の続き。「季節のない街」。テレビ版の第二話「親おもい」の話は、ほぼ原作通りだった。兄のキャラ設定は違うが、それ以外の筋は、将棋や落語のエピソードもほぼ一緒。母親や、焦点となる登場人物辰也の台詞もほぼ一緒。まとめあげる構成力。二話読み終わって、次は、「彼は早稲田で死んだ」を読む。革マル派の手にかかり、命を落とした川口青年の死をきっかけに、それまで黙していた一般学生たちが声を上げる部分は、実際のところわからないが、それが何か解決に向かったのかはわからないものの、熱のようなものを感じる。手前勝手なことかもしれないけれど、そうやって声を上げることは凄いことだと思う。

御苑は人が多い。園内放送で、3歳の女の子が迷子になってサービスセンターで預かっているというアナウンスが流れる。時間をおいて2回ほど。はやく見つかってもらえればと思う。

それから、また一息ついて、燃え殻さんのエッセイを読む。面白いなぁ。恥ずかしながらまったく存じ上げなかったのだけど、Twitterなどで人気の方とのこと。エピソードに対して短く的確な言葉で例えるのが面白いし、一つ一つの描写が、なんだか寂しさもあって哀愁がある。松尾スズキさんの「大人失格」を読んだ時のような面白さがある。僕が松尾スズキさんを知ったのは、大学一年生のころで、当時、お付き合いをさせていただいた2個上の先輩から教えていただいた。お住まいに「大人失格」があり、お借りして楽しく読ませてもらった。実は当時、その先輩はまだ別の方とお付き合いをしており、つまり僕は二股の相手だったのだけど、「まぁ、大丈夫だから」という言葉を信じて、ふらふらくっついていた。僕は地方の大学に通っており、高校まで女性とお付き合いをしたことがなかった恋愛経験値ゼロの僕は、何もしらなかった。ある日、その町唯一のファミレス、「びっくりドンキー」で深夜、あれはなぜだったか、その先輩と遅めの夕食を食べていたことがあった。たらふく食ってなんだか眠くなってしまい、ファミレスのテーブルでうとうと眠ってしまった。目が覚めたら、目の前に、先輩が付き合っていた男性が正面にいて、僕をじっと見ていた。チーズバーグディッシュを食べていたはずが、目が覚めたら(まぁ、女性の前で食って寝るなという大前提がありつつも)、本物の彼氏がいるわけで、それは、もう、驚くしかない。恋愛経験値がまだアリアハンレベルの僕はなすすべもなかった。それが、またなにも「びっくりドンキー」でなくてもいいのに。

そんなことを思い出したら、なんだか、ラブストーリーが見たくなり、渋谷で「パストライブス」という映画を観る。

韓国で暮らして、小学生のころに好きあっていた同士。女の子がカナダへ移住することになり離れ離れになる。お互い、別の人と付き合いがありつつも、どこかで意識しあう間柄に。女性はニューヨークで結婚をする。旦那さんとは英語でコミュニケーションをとるが、彼女の寝言が韓国語であることが旦那さんにとっては、どこか自分の踏み込めない世界があるのではないかと心配になる。

冒頭の、過去の韓国のシーン。学校から家路に帰る主人公たちは、まっすぐの道を奥からカメラに向かって歩いてくる。奥から前方へ縦移動。そして、やけに環境音が大きい印象。それが韓国の街の特徴なのかなとぼんやり観る。映画のラスト、ニューヨークにやってきた男を見送るため、家を出て、街を歩く二人の描写は、横移動で描かれる。その時の街の環境音も意識的に大きい気がした。

2人が歩くシーンは、意図的に、縦と横の描写の中で描かれて、一瞬、フラッシュバックで、過去の一点が挿入されるが、あそこを軸に、縦軸と横軸で交差する。いや、正確には交差しない。二人は、ぽつりと言葉を交わし、お互いの家へ帰る。

韓国の思想「イニョン」という言葉が映画の中で語られる。縁。それは現世だけではなく、過去に出会い(台詞で「パストライブス」と語れていた)があったかもしれず、それが今に繋がり、さらに、未来にも何かの縁があるかもしれないという考え方。

縦移動と、横移動を、意識的に使い、今その街の中に、二人をしっかり存在させた。「あの頃の私は、あの頃に置いてきた」的な台詞を主人公の女性は語るが、過去の自分は、もういないわけではなく、今、存在している、時間は、過去から未来への一方向だけではなく、縁で、そして、円のように存在している。

ただ、このタイミングで、二人は結ばれなかった。二人は、それぞれ、劇中で多くの選択があり、一つ一つを自分たちの意志で選びながら、結果、今を生きている。それぞれの人生を。『自分たちは結ばれない』と理解した。

もしかすると、自分たちが結ばれる今が存在したかもしれない、という想像は働く。しかし、それはあくまでも、想像。だからこそ、女性は、最後に、嗚咽する。絶対に叶わないことを悟り。それを旦那さんが優しく受け止める。三者三様に何かを得て、何かを得れなかった。それもまた「イニョン」なのだと思う。

帰宅して、筋トレしつつ、ぼんやり。今日はのんびりした一日。