東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

コミュニケーション

■昨日、仕事の一環で、渋谷で開催されていたブロードバンド・ユビキタスセミナーという講習会に出かけた。派遣社員なので本来はそういうセミナーに参加するような立場ではないんだろうけど、「せっかくだからどうだ」と誘われたので、興味本位で行ってみた。

ユビキタスとはラテン語で「至る所に存在(偏在)する」の意で、それが転じてインターネットなどの情報ネットワークにいつでもどこからでもアクセスできる環境を指し、場所にとらわれない働き方や娯楽が実現できる社会の提案、というのがイベントの趣向だそうだ。

■で、結局はある会社の製品のプレゼンがメインなのだけれども、これがちょっと驚きだ。その製品は世界最小のマイクロサーバーで、なんと名刺サイズ。大きさは妥当だけれども、名刺ほど薄っぺらではないので小さな箱を想像してもらった方がいいのかもしれないが、その大きさで映像配信、蓄積、Webサーバーなどを搭載しているといった具合。言葉だけではなんのこっちゃという感じだけれども、まぁつまり有線さえあれば撮った映像をその場でネットに配信したり、保存したりできるってことでして。僕も詳しくは解りません。

■でもそういう製品を見ていると世の中はどんどん進化していることが実感できる。冷静に考えれば携帯電話なんて大学1年生の頃には持ってなかった。それがわずか数年で必需品だ。そしてインターネットも。携帯電話やインターネットが人のコミュニケーションに与えた影響は尋常じゃない。つまり『距離感』の形成に与えた影響。家族単位ではなく個人単位で、直結したコミュニケーションがとれるし、欲しい情報がいつでも手に入るようになった。それにこのホームページや日記にしても数年前までは考えられなかったわけだ。こういう風に日記を他者を意識して書くことができるのは、自分にとって非常に有益だ。そういえばメールという機能もまた新たなコミュニケーションの距離感を作った。今では当然とメールによる『距離感』は存在するわけだけれども、しかしこれはやはりですね、人的要素が多分にあるもので、人類の歴史において決定的に後付けなわけなんですよ。動物の本能とは異なる新皮質が産み出したものが、コミュニケーションっていうどこか動物の本能的な作用で形成されるもの(もちろん、それ以前にも手紙や電話などもあったけれども、やはり加速度的に距離感が多様になっている)にグイグイ介入しているわけですよ。そうするとこの『人工的な距離感』っていうのは、やはりなんといいますか、実に興味深い。ユビキタスといったものが、そういう流れを加速度的に早めるのかは分からないけれど、遅かれ早かれで、人間はどんどんそういった方向へ向かっていくのは確かなのだろう。今だからこそ存在する『距離感』。そういう時代に生きている。

■そういえば、最近は芝居をする役者やスタッフ間の連絡の取り方もすごいことになっている。今、芝居をやっている面々はメーリングリストを使って相互の連絡をとっている。それで一斉送信で連絡を取りあう。非常に簡単でしかも素早い情報交換が可能だ。こうなっていくと携帯さえあればちょっとした会議もできてしまう。なんだかすごい事だよ。

■で、夜は当然のように稽古。滑舌が悪い。台詞をきちんと言えない。そして台詞が覚えられない。いかんいかん。きちんとせねば。

■稽古後、今週から稽古に合流したMくんと軽く飲む。Mくんと話していると本当に刺激になる。稽古場の周辺はMくんが昔、通っていた桜美林大学があるので詳しいらしく、Mくんの行きつけの居酒屋に行った。レバ刺しがうまい。そして店長さんが実に話せる。中上健次のファンときた。あと映画もかなり詳しいらしく、話していてとても楽しい。本当にちょっとしか話せなかったけど。なにせ終電が危うい。そうして昨日も午前様。というか稽古がある日は午前様。仕事ときちんと両立させなきゃいけないが大丈夫だろうか、少し不安だ。そうやって日々は進む。