東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ワダチ』

捨てられた自転車

宮沢章夫さんの日記にチェルフィッチュの「エンジョイ」の感想が書かれてあり、それを読んでいろいろと考える。すごい憶測で書くけど、フリーターを題材にしたこの作品がこういう風な形になったのはパンフレットに書いてあったけど、作・演出の岡田さん自身がちょっと前まで同じようにフリーターだったことも大きな要因としてあるのではないか。金銭面や社会的な状態としての不安はあるのかもしれないけど、自由の利く時間がたくさんあるその身分は否定しがたく貴重な時間だったのではないか。少なくとも僕がそうだったし。この芝居を観た人がどういう風に考えるのかもっといろいろと知りたくなった。


■ とても刺激を受ける文章が書かれてあるブログ『ぼうふら漂遊日記』の「悲しい断絶」と題された文章の内容は「エンジョイ」で描かれたフリーターの抱える不安と対極の位置にありつつも、同一線上にあるように思えた。少なくともフリーターとは違い、きちんと就職して社会的な地位を確立しているはずの『彼』が抱える不安。それと就職せずに、かといって何がやりたいわけでもなく日々を過ごしてしまうフリーターが共有しているもの。この文章の言葉を引用すれば『隣人である俺達と社会が、偽善的で、酷薄で、不甲斐ない』ということに両者は無意識であれ気付いてしまったのではないか。ある種の絶望がそこにはあって、それを見てみぬふりすることが出来ないから立ち止まってしまう。ただ、立ち止まることで置いてきぼりをくらうことはやはり怖い。世間にしがみついていたいと思う。そうするとどこかで自分に妥協をして世間の流れに乗るしかなくなる。『社会ってそういうもんだから。いいかげんあきらめろよ』と、それが息子の将来を思ってのことだと親がかける声が重く感じることが僕にもある。だけどそれに対して反論がいえなくて、そんな自分にひどくいらつく。不安を抱えつつ、それでもどうやって生きていけるか。


■ 『ぼうふら漂遊日記』の著者の方が薦めていたので購入した松本零士さんの『ワダチ』における主人公山本轍(ワダチ)の生き方はだからこそかっこいいとしか言いようがない。名作『男おいどん』の世界を引き継ぎつつも、今の日本の状況よりもより絶望的な状況をSFタッチで描いた本作において、山本ワダチは不安を抱えつつも決して自分であることをやめない。頭も良くないし、顔も悪い。言い寄ってくる女たちはすぐに裏切る。極限の状態でなりふり構わず生きようとする人たちの前で、決して自分であることをやめない。そのブレのなさ。有体な言葉を使えば強さ、というもの。所詮、漫画の話だといってしまえばそれだけで終わってしまうかもしれないけれど、この位置に立ってからしか何も始めることはできないと僕は思う。


■ 今日の空日記。雲間から見えた夕焼け。蔭るビルの間でやけに空が明るくて、しばし足を止めて見とれる。