東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2日前』

■天気予報を見ると、7日(土)の天気が曇りになっていた。それまでの週間予報だとその日は雨が降るとの予報で、これはやはり、かげわたりイベントには雨がつきものなのだなぁと、もはやシャレになってない雨ぶりに軽くおののいてもいたのだけど、今回は大丈夫みたいだ。やはり、まぁ、せっかくなので雨は降らないで欲しい。七夕だし。予報通り雨が降らないことを期待。


■5日(木)。少し仕事場を出るのが遅くなってしまい慌てていたこともあったのだけど、稽古場がいつもの場所と違うことに電車に乗る前に気づく。稽古場の最寄り駅さえ判らない始末なので、門田くんに電話。京王井の頭線の池ノ上という場所だとのこと。よく判らない。言われるままに渋谷へ行って井の頭線に乗る。気がついたら下北沢に着いており、それでよく見ると池ノ上は下北沢の隣でもう通り過ぎていた。思いっきり乗り過ごしていた。


駅を降りると駅前は多少にぎわっているけど、すぐに閑静な住宅街に。それで、思ったけど、世田谷の夜は怖い。驚くくらい静かで、街灯もやけに少ない。僕の父親の実家は佐賀で、以前久しぶりに佐賀に行ったとき、その夜の暗さを目の当たりにして、夜は怖いもんだと実感したことがあったのだけど、世田谷はそれに近いものを感じる。

おそらくかつては田畑の広がっていたいわゆる田舎だったのだろう。今ではえらく高級そうな家が並ぶ住宅街に変容したとはいえ、世田谷の本質はおそらく土の匂いのするどこか暗さを抱えた土地なのではないかと想像する。まぁ、そんなことを思ったのは、単純に駅から稽古場へ向う間に、道に迷い途方に暮れながらしばらく歩いたからなのだけど。印象的だったのが、坂道になっている場所を歩いたとき、その道路の下を走っているのだろ、下水管か何かを流れる水の音が響いていたことだ。閑静なだけに水の音がやけに響く。世田谷の夜はある種の怖さを抱えている。


■やっとこさ稽古場に着いた頃にはすでに21時半。ほんとに少しだけ稽古を見たらあっという間に終わりの時間。その後、門田君と諸々の打ち合せをするため歩いて下北沢へ。あ、下北沢のここに出るんだと、思う。歩くと見えてくる世界がある。


■打ち合せの前に門田君といろいろな話をする。こういう時間は本当に面白い。それから打ち合せ。今回の芝居では、内田百?の『ノラや』(中公文庫)の中に掲載されている日記を一部引用する。それをスライドで流すのだけど、そのタイミングとかを話し合った。『ノラや』を読んだ方はご存知だと思うけど、あれは百?が飼っていたノラという猫が突然いなくなった後の、どうしていいのか判らず途方に暮れている自身の心情を書き綴ったもの。ノラがいなくなってからの日々が日記で記録されているのだけど、その文章がなんだか物悲しくてとてもいい。


僕の今回の芝居は、この本から受けた影響が大きい。もちろん、それをまったく真似するつもりはないけど、この『ノラや』に流れているものが、『朝からの家』でなんらかの形で表現できればと思っている。まぁ、それはそれとして。


■0時過ぎに門田君と別れて家路へ。いつも乗っている電車ではもう終電の時間なので、池袋から歩こうと思ったのだけど、普段は乗らない別の会社の電車がまだ走っていることに気づき、それに乗る。車中、ぼんやりと本などを読んでいたのだけど、不思議なことにいつまで経っても駅に停まらない。まさかと思ったら案の定。快速に乗ってしまった。思いっきり自分の駅を通過。呆然する。その上、えらく快速で走る電車で一気に5、6個駅を通過しやがる。やっとこさ駅に停まったけど、上り電車はすでにない。仕方が無くタクシーで帰る。時間も金も無駄なことになってしまった。電車に祟られた一日。まったく、ほんとうにまったくだ。