東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『鎌倉へ行く』

■ とある事情で仕事を休んで鎌倉へ行く。せっかくの鎌倉だけど決して浮かれることができない事情。鎌倉へ電車で行くのはかなり久しぶり。池袋から湘南新宿ラインで1時間とちょっと。決して遠くはない。ある事情のことで頭がいっぱいながら残りわずかとなった『枯木灘』を読む。渋谷から椅子に座れて、それでいつの間にかうとうとしていた。気が付くと空いていたと思った車内が混んでいた。鎌倉観光をする人が乗ってきたよう。


■ 駅を降りて少し商店街を歩いてみる。平日だからということもあるのだろうけどなにやら時間がのんびりと流れている。フラフラとする。目的の場所を確認すると由比ガ浜のほど近くだったので、昼食に海の近くで経営しているお弁当屋さんの美味しいコロッケバーガーをテイクアウトし、砂浜で食べることに。凪いだ海。波は穏やか。日の光が波間にゆれてキラキラとしている。面白くなさそうに海のうえにいるサーファー。海を眺める老婆。煙草を吸いながら寝そべる青年。ゆっくりと波打ち際を歩く老人。波崎の海岸とはまったく異なる時間が流れている。防波堤でそれを眺めているといつまでもこのままでいてもいいなぁと思えてくる。日が暖かいのもよかった。空を見ると鳥が飛んでいる。


僕が座っていた防波堤には中年の女性も距離を置いて座っていた。そこに恰幅のいい黒服の女性が歩いてくる。海を見つめ、「気持ちいい」と一言。一人ごちるというよりは誰かに聞いてもらいたいような物言い。案の定、その黒服の女性は先に座っていた中年の女性に「どこから来たの?」と声をかけた。中年の女性は横浜の青葉区から来たと言った。つづけて中年の女性は江ノ島のほうを周りここに来たと告げ、黒服の女性に「あなたは遭難事故の石碑をご存知ですか」と尋ねていた。「私、あれを見ると涙が出てきてしょうがないの」と中年の女性は話を続けたが、黒服の女性はすでに会話に興味を失ったようで、別の友人がそこにやってきたら会話を勝手に終えて友人たちと波打ち際の方へ行ってしまった。波打ち際へ行き友人たちと戯れる黒服の女性を眺めながら、その中年の女性は「あれは、確か大正時代の話だったかしら、もっと前だったかしら」とつぶやいていた。それは誰かに言うというわけではない、独り言のようだった。


■ 海で食事を終えてから、ある事情のためとある場所へ。それでひどく気持ちが沈む。どうしようもない気持ちになりながら、鎌倉の町を駅に向かって歩く。少し遠回りをすると趣のある古本屋さんを見つけたのでそこに入った。心惹かれる本がいくつも。何か、今日、この古本屋さんを発見した記念に購入したいなと思い本を眺めていたら、中上健次さんの『地の果て 至上のとき』のハードカバーを見つける。『枯木灘』をまもなく読み終えるタイミングでそれを発見できた。これも縁だろうと購入。


■ 帰りの車内、気分がすぐれないまま、それでも『枯木灘』のページをめくる。文章を読んでいくうちに何か気持ちが重くなっていく。作中の人物たちの葛藤と、自分の状況と、それとひさしぶりに乗り物酔いもしてしまったようで、なにやら消耗する。決して思い通りにはいかない。そんなあたりまえのことを改めて思い知らされた気がした。『枯木灘』読了。そしてすぐさま『地の果て 至上のとき』へ。