東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雑記』

tokyomoon2007-11-07

■ ひょんなことから人から譲り受けたテレビが家に来た。以前のテレビに比べると数段でかい。でかくなるのは有り難い、が、その存在感たるや。狭い部屋にはちとありすぎ。せっかくなので、何かでかい画面にふさわしい作品でも観てえなぁと思うものの、今のところ観るのはバラエティばかり。


■ 会社が入っているビル全体で防災訓練があった。初めて消火器というものを使う機会を得た。噴いてみるものだ。訓練の最後に話しをしてくれたどこかの消防署の方曰く、千代田区は東京23区で唯一指定避難所がない区なのだとか。そのような際は皇居前広場など広めの場所に避難して下さいと言われたが、では皇居前広場が指定避難所にならないのはなんなのか。まぁ、それはともかく東京もいつ何が起こるかわからない。


■ 昼ご飯をどこで食べようか考えた末、職場の近くの上智大学に行ってみた。構内に入ると学生がたくさん歩いている。大学の雰囲気というものはやはりいいなぁと思う。どの大学にも通ずるある種の雰囲気がある。僕が通っていた大学の施設に比べるとかなり恵まれた作りのものが多いところはまったく異なるが。なにせ構内にコンビニがあるし、学生食堂がでかいビルの5階にあるし。というわけで5階でカルボナーラを食す。380円。値段は大変お安い、が、ちと味付けが濃い気がした。びっくりするほどでかい食堂で、学生に混じりながら『枯木灘』を読む。


■ 会社に向かう途中で、片方の足を引きずって歩く男性の方をみた。向こうから小学校低学年くらいの少女とその子の手を引く中年のおばさんがやってきた。通り過ぎる間、少女は足を引きずって歩く男性をずっと見ていた。男性に聞こえないような小声でおばさんが少女に「駄目よ」と囁く。最近観た光景の中でもとても印象に残っているもののひとつ。


■ 職場の同僚に手話を少し教えてもらった。文字を象ったような手話や、どうしてそういう形になったのか判らない手話などいろいろあって、いろいろ興味深い。同僚には、友人に耳が不自由な方がいるらしく、その人と遊ぶうちに自然と手話を身につけたのだそうな。その友人は、低い音は振動などからある程度感じることができるらしいが、高音はまったく聞こえないのだという。一言で耳が聞こえないと言っても、その度合いは人それぞれで違うらしい。いずれにしてもまったく無音の世界に生きているわけではないという。

深い海の底にいて、いつも何かゴーッという音がしている。遠くの海上の辺りで、何か声が聞こえてくるような感じ。

が、その方の普段の状態なのだという。こういう言葉が正しいのか難しいけど、僕にはその話しがとても興味深かった。差別も区別もなく、ただ単純に違う世界を見ている人がいるという新鮮な驚きがある。もちろん、ハンデを抱えている方が、そのことに触れたくないと思っているのならばそこに触れる様なことはしないけど、気にしないのであれば僕はそういう話しをたくさん聞いてみたいと思う。興味という言葉しか思いつかないので、それを使うが、その方の世界に触れることはやはり興味深いと思う。


先に挙げた少女もまた自分の世界にない別の世界と直面したからこそ、興味を持ったのだと思う。『駄目よ』の声は社会からくる。社会はあるべきものだし、『駄目よ』が持つある種の正しさも理解出来る。ただ、別の世界は確実に存在する。大事なのは視線の向け方だと思う。つまり如何に見つめるか。だから僕は、僕の信じる考え方のもとで、もっともっといろいろなものを見つめていきたいと思う。人を見つめ、作品を見つめ、別の世界を見つめていく。