東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『声紋都市−父への手紙』

tokyomoon2009-03-22

■木曜の仕事帰りに池袋のジュンク堂ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの『労働者K』を購入。喫茶店でそれを読む。

茶店から帰ってからもそのまま読み続け、読んだまま、なんとなくうとうととしてしまって朝を迎えてしまったので3連休の始まりはひとまずお風呂に入るところから。朝風呂は、急かされる事情が無い限り、至極の贅沢だと思う。温泉なぞに行く機会があれば、前夜えらく遅くまで起きて、すこぶる酒を飲んでいても、朝はむしろ家にいるよりも早く起きて、温泉に入り、これがオツよとばかりに朝風呂を堪能する。して、昼過ぎには眠くなる。


■ずっと観たいと思っていた湯浅正明監督の『MINDGAME』をDVDで観る。銃で撃ち殺された男が自力で復活、ヤクザからの逃避を描く前半と、飲み込まれた鯨の中での享楽の日々と、そこからの脱却を描く後半。別にリンクさせる必要はないのだろうけれど、『ピノキオ』は鯨の体内という産道を経て人として産まれた、という視点から捉えることができるといったことをどこかで聞いたことがあり、『MINDGAME』のクライマックスの鯨の体内からの生還も、これもまた産まれる、もしくは再び産まれる、ということの表現のようで、いつの間にか裸で、全力でその中を走る主人公たちが、断片のようなフラッシュバックされる過去や未来の映像とともに、超巨大な客船や飛行機等の障害を超え、飛び出すように世界(というか大阪)の中に現れるシーンには、なんといいますか、ただただ圧倒されました。全力で走って、全力で泣く、笑いも、踊ることも、SEXも、アニメにしか出来ない表現として『MINDGAME』は確立されていると思いました。


■久しぶりに髪を切る土曜日。久しぶりの板橋。駅前に、住んでいた頃にはなかったでかいビルが建ち、住んでいた頃にはあった駅前の団地(もしくはどこかの会社の社宅)が消えていた。町は変貌する。なんとなく板橋から池袋まで歩いて帰る。久しぶりに通る道。僕史上一番うまいつけ麺「てんつくてん」のつけ麺を食べ、美味しいパン屋でマカロンやらベーグルを買う。


■夕方は、池袋芸術劇場でマレビトの会の『声紋都市−父への手紙』を観劇。受付で取り置きしていたはずのチケットをもらおうとすると、チケットがなかった。おそらく僕がネットでの登録をミスったのだと思う。受付の人の温情で前売り料金で入れてもらえる。

舞台に巨大な斜面があり、その斜面の上に映像が流れるスクリーン、斜面の下に舞台があるという構造は、支配する側とされる側の、縦の構造の暗喩にもなっている。作者である松田正隆さん本人が登場し、戯曲を書く(2次元の表現)行為がスクリーンに映り、まさにその戯曲の台詞を舞台上で役者が演じる(3次元の表現)。様々な声が響く舞台。


アフタートークでPortBの主宰である高山明さんが、自分も最近子どもが出来、その子どもとの間に抱く父子の意志の疎通のもどかしさを芝居の中に見たと語ったり、一緒に芝居を観た人が、舞台上に設置されたあの斜面は今作品の軸となる長崎の、松田正隆さんの生まれ育った浦上の町の、坂道ではなかったのかと語り、そういう様々なことを喚起させる自由度こそが、この芝居の豊かさの一つではないのか。


ふざけてるとしか言えない場面も多々あり、少女(確か名前をミシェットと言っていた)の格好をして水の中に転がり落ちる松田正隆さんの映像は本当に笑えるのだけど、その映像を経た次のナレーションが「もう一度やり直そう、この劇を、もう一度やり直そう」であり、アフタートーク松田正隆さんの言葉によると「地の言葉」によって語ることへの表現として水の中に転がり落ちる必要があったとあり、「地の言葉」とされる舞台上で発せられるその言葉の、意味と言うより、響きが、演劇としての言葉としてあるように思えて喚起されるところがあるというか、表現についてすごく刺激を受けた。
「地の言葉」と勝手に漢字を変換したけど、もしかしたらそれは「血の言葉」だったかもしれない。


アフタートークでPortBの高山さんが仰った言葉をメモ。

台詞は人と人との掛け合いではなく、声と声との掛け合い


『声紋都市』の戯曲を購入。ほくほくして帰宅。