東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『灰色の夢の塔』

tokyomoon2008-04-14

■ 天気が良くないせいか、えらく寒い日曜だった。私用で高島平に行く用事があり、都営三田線に乗って高島平駅に向かった。都営三田線は神保町や日比谷、それに目黒などへ行く時に僕の家からだととても便利なので利用している。でも、下るのは初めて。それで、三田線は途中から地上に出てさらに高架を走ることを知った。三田線から見える板橋区の風景は、高島平が近づくにつれて団地が多くなってくる。平坦でなだらかな土地に、とてもたくさんの団地が立っている。その活動にとても興味を持っているある劇団がこの高島平を舞台にした作品をかつてつくっていた。それで高島平という土地が前から気になっていた。ウィキペディアくらいの情報だけど、それを見ているとこの土地が今の状態になっていく姿がとても興味深いものだと思えてくる。高島平三丁目の約半分が高島平団地の敷地って、それすごいことになっている。

『それまで一面の田んぼだった徳丸ヶ原には、高島平団地のみで2万人以上、高島平全域で5万人の人口を抱える一大住宅都市が現出した。こうして全く新しいコミュニティーが形成された結果、高島平には就学前教育機関、小学校、中学校、高等学校が公の手で整備され、団地内には図書館・警察署・消防署(出張所)・役所(板橋区役所高島平出張所)・病院などが順次整備された。さらに、商業施設やスポーツ・レクリエーション施設も多く投資・整備された』

高島平駅から赤塚公園方面へ向かおうとすると、駅から団地へ歩道橋が直結されている。団地の手前にはスーパーがあり、携帯のアンテナショップがあり、薬局がある。さらに団地の中には八百屋、魚屋、銀行もあり、さらには床屋まである。その場所だけで一つの小さなコミュニティが形成されているように見える。そこはかつて、東京で働く人が、都内で暮らすための新しいスタイルとして提案された夢の生活だったと思われる。

団地の入口には公園があり、そこを団地に住むのだろう子供たちが元気に走っている。公園の中央にある砂場の中に、上に向かって半円状にでっぱった造形物があり、それを滑り台のようにして遊ぶ子供たちの姿がある。誰かが思いついたのだろう、八百屋のところに置いてあった段ボールも持ってきて、それを尻に敷いて滑り台の先から楽しそうに滑っている。そこに八百屋の主である老婆がやってきた。

「前にね、段ボールで遊んでた子が怪我をしちゃったの。だから、段ボールを渡さないように言われてね、ごめんね。だから段ボールは返してね」

八百屋の老婆はそう言って、子供たちから段ボールを回収していた。子供たちは何も言わずに段ボールを渡していた。

さらにウィキペディアから引用。

『多くの高島平居住民は地域内で生活全般が充足され、地域内の結びつきをより強くすることになった。また、当時分譲された高島平一丁目・高島平四丁目・高島平五丁目は閑静な住宅街として中間所得層の人気を集め、全般に教育水準・所得水準の高い家庭が多く、子弟は比較的高学歴で[要出典]、引き続き居住を続ける傾向があり、地域社会は循環している。これに対して団地居住民の子弟は比較的低学歴で、成人後あるいは就職後に独り立ちする傾向が強く、団地の人口は減少傾向となり、高齢化が見られる。』

高島平とその周辺の土地をもっといろいろ歩いてみようと思った。