東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『最高に滅茶苦茶に容赦なくやること。』

微妙にバタバタしていたりしていなかったりで、気がつけば11月。天気が悪い日はどんよりしているけれど、晴れている日は本当に気持ちいい。それと、まだ寒くない。それが有難い。歳もあるのか、寒くなると指とか脚の先がなんだかダメになる。


バタバタしていたこともあって、PCメールを見るのを怠っていると、友人たちから来ていたメールを見落としてしまっていた。数日経ったメールを見る時のあの申し訳ない気分。すいませぬ。


この前の日曜に、大学時代の部活の後輩の結婚式があり2次会に呼ばれていた。僕よりも、むしろ嫁氏の方が関わりもあったので家族で2次会会場へ。油断していたらちょうど開始の時間にお店に着いてしまって、新郎新婦が会場に入るタイミングに鉢合わせてしまった。なんとなく気まずい顔合わせ。久しぶりに会う後輩。同じ東京周辺にいることは知っていながら、会う機会もなかった。こうやってハレの席に呼んでもらえるのはアリガタシ。というわけで、娘子も連れていったわけだけど、娘子はどこでも自由奔放に走り回る。この時も、見知らぬ人たちに気後れすることなく暴れていた。後輩も結婚し、僕はその式に(2次会だけど)、娘子を連れて出席している。なんとも時の流れを感じる。


高橋源一郎さんの『恋する原発』を読んだ。東京という場所にいるこちらの、小説家の方が、震災とどう向き合うか。震災と自分の仕事、つまり小説がどう向き合うか。そのことを問いかけながら小説家として、震災と向き合っているように思えた。題材として扱っているAV業界は、もちろん題材として扱っている以上、絶対に変更は出来ないのだろうけれど、あれは『AV』と『小説』を入れ替えて考えることもできるのではないだろうか。震災と、原発といった題材を、小説にすることへの戸惑い。どのように語るべきか。言葉にするべきかを自問自答しつつ、AVに向き合う主人公は、そのまま小説家である著者自身の姿のように感じた。だから、この作品の最後の言葉はああなって、これはAVではなく小説であるという決意でもあるのではないか。そして、途中で差し込まれる震災小説論。それで、たまたま読み返した西島大介さんのマンガ『凹村戦争』のあとがきを読み、この言葉を改めて『見つけた』。

最悪で滅茶苦茶で容赦のない世界に対抗する唯一の方法。
最高に滅茶苦茶に容赦なくやること。


この言葉を鵜呑みにはできないけれど、『凹村戦争』というマンガのあとがきにふさわしい。『最高に滅茶苦茶に容赦なくやること。』。その滅茶苦茶には、美学が必要だと思う。西島大介さんは、マンガという舞台で、美学ある滅茶苦茶によって作品をつくりあげた。川上弘美さんが『神様2011』で試みたこと。宮沢章夫さんが『トータル・リビング1986-2011』で試みたこと。そして高橋源一郎さんが『恋する原発』で試みたこと。それは小説や芝居の分野で、それぞれの方々が試みた原発事故/そしてそれ以後の『最悪で滅茶苦茶で容赦のない世界』となった日本に対抗する方法として、『滅茶苦茶』をした作品なのだと思う。そのことを留めておかねばならないし、自分が何かを考える上でこれは極めて重要だと思う。


話しは全然かわるが、そこまで離せないのか。