東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『その世界で遊ぶ』

tokyomoon2015-03-13

雨や曇りで三寒四温の日々が続いて、ようやく暖かい日々になってきた。日当たりのいい梅の木は満開で、鳥がその花を啄んでいる。空を見上げた娘が「竜が飛んでる」とにょろにょろと長く伸びた雲を指差したりしたけど、こういうことも春先だから発見するような気がする。いくら晴れても真冬で雲の形をどうのこうのしないような気がする。暖かい日々は空を見上げがちになる。


9日。会社の上司の方から、なぜか映画『アメリカンスナイパー』のチケットをいただけたので、これ幸いと新宿バルト9のレイトショーに駆け込んだ。実話とかそういうことを取っ払って、ただただ『映画』として、どう面白くすべきかを徹底して作っているような作品。それでいて誇張をするようなこともなく、ずっとカメラはありのままを切り取るようにあるような気がする。


それにしてもマッチョだなぁ。考え方がマッチョだなぁ。守るためには強くならねばならないし、相手を殺すことも厭わない。それがアメリカの総体とは当然思わないけど、このマッチョな考え方があの大きな国の根底を支えているようにも思う。かつて、大学時代に一年後輩の男が就職先に自衛隊を選んだ。その選択の理由を聞いたところ「この国を守るんです」と迷うことなく答えた後輩のその真っ直ぐさが僕には欠けている。あの映画に出てくるアメリカの兵士も、イラクの兵士もおそらくその真っ直ぐさを貫いている。クリントイーストウッドはその真っ直ぐさの、真っ直ぐだからこそ脆いところもちゃんと知りつつ、それを肯定も否定もせずにただ映し、徹底的に映画にしている。


10日。天気予報では暖かくなると言われたので薄着ででかけてしまったらよもやの雨。風も冷たい。仕事で人と話をしているときに、回転寿しの話になり、誰もが寿司は好きだということで盛り上がり、ある方が「回転寿しは永遠に好きですよね」と言った発言が面白かった。そこまで壮大に好きってすごいことだ。


11日。代休。幼稚園に娘を連れて行ってから嫁と都電に乗り大塚で買い物。大きめの100円ショップに行く。いろいろある。品の良し悪しはあるかもしれないけど、東急ハンズに行かなくてもここで諸々揃ってしまいそうな勢いだ。例えばこれとか。

この画像のようにハンダゴテを100円ショップに求める人が多数いるのだから、100円ショップも大変だなと思う。


娘が幼稚園から戻ったあと、家族でディズニーランドへ出かけた。平日とはいえ春休みだから混んでいるだろうと思ったら、予想通り混んでいた。それでも平日だからまだマシなのか。これで土日はもっと混むなら本当に土日には行きたいとは思わないなぁ。


ディズニーランドに来たのは2年ぶりくらいか。混雑は相変わらずだけど、驚いたのはポップコーンやターキーレッグチキンなど、そこでしか購入できないものに並ぶ行列がとてつもないことだ。驚いた。前回行った時はそんなに並んでいた記憶が無い。


たまたまだけど、最近、北田暁大さんの『広告都市東京 その誕生と死』をとても楽しく読んでいる。80年代に意識的に西武セゾングループによって渋谷という街が広告の1つの形態を担った街に変容していった姿を分析する文章に刺激を受けた。渋谷という街自体がある価値を持たされ(そこでしか手に入らないものがあったり、そこへ行くために人はオシャレをする等)、そこから発信されるもの全てが実は広告となっていたことを映画『トォルーマンショー』を題材に語る。そしてその亜流として、超閉鎖的な空間を意識的に作り出したものとしての『ディズニーランド』を例に挙げていた。その徹底した閉鎖性は今も有効ではあり、例えばディズニーキャラの形をした帽子など、一歩ディズニーランドを出た先では人の目が気になって被れないものが、その境界内では何の違和感もなく被れるし、むしろかぶっていることでなにか楽しいことに積極的に参加している気にさえなる。彼らがゲストと呼ぶ我々への徹底した外部の持ち込みの排除。(飲食の持ち込み等)。一方で、維持に費用のかかる大型のアトラクションやパレードに本当にきちんと記載がある大手スポンサーのロゴ。そういったことにとことん醒めてしまう必要はないけれど、それらの諸々の奇妙な事態に関してはやはりブレーキをかけつつ、それでも遊園地として、その賑やかさには浸りたいなとは思う。単純に楽しいものは楽しい。娘にもその楽しさは触れてほしい。ただ、この閉鎖空間の外側の些細な日常の中にも、どこかの町や山や川にも、ここと同様の、それ以上の面白さはあることを自分で発見してほしいし、ディズニーランドの持つ奇妙さも、やがて大人になった時、自分なりに見つけてほしいものだとは思う。それでいて、なお、パレードの煌びやかさを楽しんでくれたなら良いなぁなどと思う。


夜10時近くまで遊んでしまった。帰りは眠くて電車内で寝ていたけど、駅からは頑張って歩いた娘。よく頑張ったなぁと思う。


そしてもちろん3/11はそれだけではなくあの震災のあった日でもある。今でもあの日のことは覚えているし、自分の線の上にずっとある。