東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『台風が過ぎたあとで』

13日(日)。目が覚めたら快晴。そして陽射しが心地いい。テレビをつけると、台風の被害のニュースがたくさん流れる。本当に、自分の地域が無事だったことは偶然でしかないということを改めて気づく。

昼に、池袋のサンシャインでやっている北海道物産展へ出かけてみる。牛トロ丼がありそれを食べる。大学生の頃の学食で食べて以来。美味しいけれどわりと脂っぽい。癖になりそうな味と言えばそうなのかもしれないが、一杯で十分、という感想。学生時代はモリモリ食べていた気もするが。で、物産展をふらふらしていたら、娘の学校の友達家族もやってきて、一緒に遊ぶ。子供が2人一緒になると一気に遊びモード。かくれんぼをしたりだるまさんがころんだをして遊ぶ。その後、買い物。驚いたのは、サンシャインの横にあったTSUTAYAがつぶれていたこと。知らなかった。こんな大きな街のTSUTAYAまでつぶれるのかぁ。最近はあまりレンタルをしてなかったけど、いろいろと面白い作品も置いてあったから残念だ。それから、娘は友達の家でゲームをして遊ぶことになり、僕と嫁だけ一度、家に戻る。雑司ヶ谷霊園を家に向かって歩くとき、日が差して本当に気持ち良かった。風は強かったけど、ぽかぽかと暖かい。家に戻って、さすがに朝からうろうろして疲れており、少しばかり眠る。窓ガラスに光が当たってキラキラしていた。1時間くらいで目覚ましに起こされて、娘を迎えに行く。一応、と思って上着を着ていったが、正解だった。日が暮れてくると少しばかり涼しくなってきた。娘を迎えに行き、ゲームの感想などを聞きつつ、家に戻る。僕はその後、少しばかり仕事があり、電車に乗る。外はすっかり台風のことは過去のものとなっており、都心にでかける人たちでいっぱいだった。

諸々仕事を終えて、帰路へ。そこで、Facebookを見て、友人の家が床上浸水の被害にあったことを知る。写真をアップしていて、それを見ると本当に大変そう。川の決壊による浸水。被害に遭うか遭わないかはタイミングでしかない。僕はたまたま運が良かったのだろう。そんな風にいろいろと考える。

家に帰り、なんとなく映画を観る。

グレイテスト・ショーマン

主人公自身がパフォーマンスをするのではなく、プロデューサーとして成り上がろうとする人物であることが興味深かった。生まれながら貧困と、自分が下流階級であることへの劣等感があり、なんとか成功しようと躍起になる。ミュージカルナンバーで歌われる取り分の交渉は、まぎれもなくプロデューサーのそれで、ポンポンと小気味いいテンポで物語が進むが、例えば評論家に批判された新聞記事が載ると、「その新聞を持参した人は半額で観れる」という特典を設ける発想などは、事実かどうかは置いておいて、驚くような手腕だと思う。広告や、女王様への謁見など、巧みな情報操作を駆使しようとする思考もまた徹底的にプロデューサーの感覚。だからこそ、よりビジネス的な好機と思われる機会が訪れれば、それまでの興行のことなどお構いなし、とあっさり人に委ねようとするのは当然。それによるしっぺ返しは物語を作るうえでのお決まりではあるし、その後、家族や仲間との和解を経て、再び興行を推し進めつつ、愛すべき家族を大切にする描写も忘れない。特に興味深いのが、放火により興業の中心となる建物を失い、失意のうちにいる主人公の前に、彼らの興行をこれでもかと批判した評論家が、着かず離れずながら奮起の台詞を語る際、『芸術ではない』と否定的な言葉を使うが、それに対して主人公はなんの躊躇いもなく『当たり前だよ』と答える。これまでの様々な批判、非難の中で、様々な抵抗・反発をしてきた主人公にとって、興行が既存の芸術であるかどうかは問題ではない。エンドロールの終わりに、本人の言葉をクレジットすることで実話を基にしていることを語りつつ、本人の考える芸術観についても明示しているものの、彼の徹底したプロデューサー然とした振る舞いを楽しむことができる作品だった。

というわけで、映画を観終わってからふらふらになり睡眠