東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『好きになるということとは』

娘が学校で合唱部にいて、その発表会があるので、娘の学校へ行く。体育館は親御さんたちでいっぱい。合唱部の人数はそれなりにいて、何曲も歌っていた。娘はたまに指揮者から目を離してあまり集中してないようにも思えた。まぁ、好きでやっているわけなのでがんばってやってほしい。それにしても娘、朝は6時45分くらいに家を出ていった。早いなぁと思うが、つまりそれを受け入れる学校側や保護者の方々のお手伝いがあるわけで、それはそれで学校の先生も大変だろうなぁと思う。発表会が終わってから、校庭に出ると、学校の近くに咲いている、なんなのだろう、寒桜か、梅なのか、詳しくはわからないのだけど、桃色の花が咲いていた。「桜の樹の下には死体が埋まっている」とぽつりとつぶやくと、娘がそれは何?と聞いてきた。これほど美しい色の花を咲かす樹の下には死体が埋まっているのだろうという作家さんが書いた言葉だよ、というと、ふうんと言って、何回か繰り返しつぶやいていた。

その後、娘と池袋の本屋へ。本屋の中でやっていたスタンプラリーみたいな催しをやってくる。こういうスタンプラリー的なもの、子供にとってはとても楽しいものらしく、娘は喜々としていた。せっかく本屋に来たので、気になっていた『黙示録―映画プロデューサー奥山和由の天国と地獄』という春日太一さんがまとめたインタビュー集を購入。

家に戻る帰り、娘から不意に「おとうはどうしておかあのことが好きになったの?」と聞かれる。どうしてなのかと言われたら、学生時代に会って、それで一緒にいたからかなぁと、答えた。娘にも幼稚園の頃から好きだという男の子がいるらしいのだけど、その子となんとなく一緒にいる時間が長かったら、いつの間にか気になる存在になっていたのだという。ただ、別の女の子で、そんなにその男の子と一緒にいる時間は長くないのに好きになっている子がいて、なんでなのだろうって不思議、と教えてくれた。なんでなのだろうね、好きってなんなんだろうね、と僕も率直にこたえた。

それから公園で娘と一緒にブランコに乗る。ブランコは好きなので、娘とどっちが早く漕げるか競争をしたりする。ブランコや滑り台、それから公園にあった遊具などで娘はいろいろ遊ぶ。少しばかりだけど、久しぶりに娘と公園で遊んだ。

それから仕事に出かける。夜、予定していた仕事が順調に終わったので、すわ、とバルト9のレイトショーで『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を観る。息つく暇もないほどポンポンと物語が進んでいくし、何も考えずに素直に愉しめる作品なのだと思う。どうしたってこれほどの大きな作品になってしまうと、受け手のそれぞれに想い入れはあるわけで、そのすべてを満足させるような作品なんていうのは不可能なわけで、ある意味では踏み外さない一つの回答として作品は作られたのだと思う。予想外である必要はなく、王道としてのエンタメであるから、これでいいのかと。個人的には思います。全9作、これはもう、祭りを楽しむようなノリで。なんにせよ、一応の公式としての完結まで拝むことができて幸いだなぁと思いつつ。あ、そういえば、これが『ジェダイの夜明け』ではなく『スカイウォーカーの夜明け』であることもきちんと狙いがあるのだなぁと。スターウォーズのフォーマットを使って、踏み込んで行き切るのはスピンオフ作品でやればいいわけで。その成功例は『ローグ・ワン』だと個人的には思うし。あの衝撃は素晴らしかった。そんなわけで、深夜0時、ほくほくとして帰路へ。