東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『つーいつい』

昨日行った施設で、近所の音大生が演奏会する催しがあるので来ませんかと言われていて、そんな機会もせっかくだと再び施設を訪れた。

近所の保育園の園児達もおり観客はそこそこいる。まぁ、みんな0歳から3歳以下の子供たちとその母親さん達だけども。この日は声楽の人が歌をうたってくれるらしく、学生とも先生ともとれそうな男性と学生だろうと思われる女性の2人がステージに。女性はピアノの演奏をしてくれるようで、歌うのは男性お一人。ステージに入って来たその瞬間から『緊張』が表情に現れており、というか、もう表情が『緊張』で構成されているような面持ちで、「みんな、元気ですかー?」と呼びかけてくれるのだけど、「そちらは大丈夫ですか?」と返してやりたくなる。

そんな『緊張』から出来ているような男性が、それでも精一杯歌ってくれて子供達は無邪気にそれを聞いていた。「犬のおまわりさん」「やぎさんゆうびん」「さっちゃん」など子供達の好きな曲を歌ってくれる。結果、最後まで男性の顔面は『緊張』で埋め尽くされていたが、いずれにしてもこういう機会も貴重なもの。


して、当然自分も歌ったことはあるのだろうが、今日になって初めて気付いたこと。「めだかの学校」の歌詞だった。一番は、まぁさすがに知っている。


めだかのがっこうはかわのなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎしているよ


で、歌った記憶も歌詞の記憶もここまでで、この曲3番まで歌詞がある。2番も、まぁ、一番に即している。


めだかのがっこうのめだかたち
だれがせいとか せんせいか
だれがせいとか せんせいか
みんなで げんきにあそんでる


学校に通うめだかたちの微笑ましい光景が1番2番で描かれている。3番も歌詞を書いた方にとっては同様の微笑ましい光景を描く狙いがあるのだろう。まずは3行目までが以下のとおり。


めだかのがっこうはうれしそう
みずにながれて つーいつい
みずにながれて つーいつい


僕はここで1つ勘違いをしていた。歌詞に出てくる「つーいつい」がいわゆる、「ついつい」で学校に通うめだかがうれしくてついつい何かをしてしまうのかと思ったのだ。というのも、1番2番ではちゃんと4行目の歌詞で3行目までの内容のまとめをしているからだ。で、勘違いしていたのが、この「つーいつい」は泳いでいるめだかの姿を表現した擬音語であり「ついつい」の意味ではなかった。「つーいつい」かぁ。とかく泳ぎの擬音を「すーいすい」と例えがちの自分が陥ってしまった凡ミスである。なにも「すーいすい」だけが泳ぎの擬音ではない。そもそも「すーいすい」だってよくよく考えればよく判らぬ擬音語だ。むしろ、ここまでのスタンダードを獲得したのが不思議な程でもある。まぁ、「ついつい」ではなかったとはいえ「つーいつい」と泳ぐめだか達の姿から想起する言葉が4行目に出てくるのかと思ってしまうのだけど、結局4行目はこんな感じになっている。


みんながそろって つーいつい


そのまんまかよ、と思わずつっこみをいれてしまった。めだかの学校はこの3番までで終るわけで、いわゆる最後の締めの歌詞が「つーいつい」っていうのも大胆というか、まぁ、しょせん魚は魚ということで結論づけている感満載な感じであり、かなり今更ではありつつも、こんな歌詞だったのかと32歳にして思う一日でした。