東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『風にそよぐ草』

会社から離職票が届いたので、それを持って区役所へ。保険と年金を変更する。まぁ、こういった手続きは微妙に時間がかかるものだ。でも、すぐに保険証が貰えたのには驚いた。手続きを終えて、銀行〜郵便局に行くとあっという間に3時間くらい過ぎている。


26日(木)。久しぶりに朝から一人で外出。丸ノ内線御茶ノ水へ。そこから神保町まで歩く。地下鉄丸ノ内線から出て、御茶ノ水橋を渡る。先日、後藤明生さんの『挟み撃ち』を読んだばかりなので、舞台となった橋を歩くのは何やら面白い。見下ろした神田川に遊覧船のようなものが走っていて、そんな船があるのなら乗ってみたいと思った。


神保町までフラフラと寄り道しながら歩き、岩波ホールで、アラン・レネ『風にそよぐ草』を観る。平日の11時30分からの上映のためか、客層が年配の女性が大半で、僕のような、まぁ、若造の部類(一応)の男が1人っていうのは他にはいなかった。


他者との関係性が奇妙な映画だった。たまたま最近読んでいる佐藤真さんの著書『日常という名の鏡』の中で、写真家牛腸茂雄さんについて語る上で孫引きしている文章を引用。


ある人間にとって世界を生き生きとしたものにするために、あるいは、人がそこに身を寄せている現実を一瞥で、一つの身振りで、一つの言葉で味気ないものにしてしまうために、もう一人の人間ほど効果的な作因は存在しないように思われる。
R・D・レイン『経験の政治学』笠原嘉訳 1973年 みすず書房

つまりは、他者の『一瞥、一つの身振り、一つの言葉』によって関係性が生じるということだろうけれど、『風にそよぐ草』では、一目も見ないで(正確に言うと写真は見ているけれど)、拾った財布から想起される猛烈なる妄想によって互いに想い合う老年の男女の物語になっている。結局のところ、彼らは互いの実際の所は判ってないし、おそらく興味すらない。大事なのは自分が描いた妄想の中に相手が収まってくれるかどうかだ。つまり、結局のところ、彼らは自分の世界から出て他者と接してないと思われる。そもそも関係性が不可解だ。老いた男には妻がいて、妻にさえ財布を拾った女性のことを想っていることを隠そうとしない。老いた女の方も悪びれることもなくむしろ妻とも平然と接するし、妻の方も女を平気で受け入れる。よくある三角関係のような展開にならないどころか、ユルユルとした不思議な関係のまま映画は進む。三角関係が互いの世界に入り込んで生じるものであるとするならば、この三人がそうならないのは、やはりどいつも自分の世界にいるだけで踏み込んでないからなのだろう。「この女は私のことが好きだ」「私はこの人とでないとダメだ」「この人を支えているのは結局私だ」。人生でいうところの最後に近いところで、久々に経験する風が彼らに吹き、彼らはその風をそれぞれに受けて、それぞれに猛烈に妄想する。もう、ドが過ぎてそれを観る姿勢として一番正しいのは笑うなのだろう。そもそも、監督自身がそういう視線で彼らを見つめている。
原題『LES HERBES FOLLES』の直訳になっている『風にそよぐ草』というタイトルを意識してのことではないのだけど、彼らはそれぞれが一本の草で、それらを遠巻きにみるとまとまって一緒に見えるが、近くに寄ればやはり個々に揺れているに過ぎない。全ての出来事のきっかけとなるハンドバックのひったくり。ひったくられたハンドバックが落ちることなく虚空を漂うのは、そこに風が生じているからで、その風が男と女をも揺らしている。全ての出来事に理由なんてなくて、その風に揺れるように登場人物が個々に揺れている姿を映画は描写している。

最後の最後で初めて男と女が接触して互いの世界に入った後は、まさかのチャック落ちという滑稽な終らせ方をしている。映画の中で男は、屋根のペンキ塗りをしていた際にこんなことを言う。(ちなみに台詞は正確なものではなく、語った印象が僕には以下のようであったということです)『屋根から落ちるのは仕方がない。ただ痛いのは嫌だ。落ちるなら痛みを伴わず死にたい』。結果、男は苦痛の描写もなく死の描写もないまま、主人公あるまじきダサさを露呈したまま映画から姿を消す。これほど恐ろしい消え方はあるだろうか。滑稽な妄想によって結ばれた2人へのシニカルな視線がそうさせたような気がする。そして、映画の結びでは、まったく無関係に一人の少女の妄想で閉じられる。「私が死んで猫になれば、猫の餌を食べれるのかな」。それは、「そんなことは絶対にない」と閉じこもった安全な自分だけの世界にいるから発せられる言葉だ。世界はすぐそこにあって、いつでも風は吹いてくる。その風に誘われて窓を開けるには、他者と関わることへの覚悟がいるのだ。

本国(フランス)版のポスターが良い。というか日本版のポスターでイメージ膨らまして観たら誤解生むだろうな。


で、観終わってから神保町で谷川さんと会う。神保町は古本の町として知られているけれど、歩いていると喫茶店をよく目にする。チェーン店のもあるけど、個人経営の店も多く、谷川さんに案内されるまま喫茶店へ。そこで近況から雑談。クリスチャン・ベイルが出る作品はアクション映画でも昏さが漂うのはなぜか、など。で、雑談したまま終了。いや、楽しかった。ほんとはもっといろいろ話すつもりだったのだけど、なんか雑談してたら時間が過ぎた。でも、こういう時間もまた良い。