東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『曜日の感覚すら無く』

暖かい日が続いたと思ったら今朝は寒かった。週の初めの月曜日。先週はバタバタしていたというよりは、なんとなく気持ちが霧散していて日記を書くに至らなかった。それと夜になるとよく判らない頭痛がしたこともある。


なんとなく、日々の備忘録をと思いつつ、すっかり忘れた。いくつか覚えていることを曜日のことを気にせず列挙。


某日。夜。BSで大島渚監督のドキュメンタリーをやっていた。「1999大島渚 映画と生きる」気付いた時にはすでに半分くらい放送していて、慌てて観る。映画「御法度」撮影のメイキング風景がたくさん観れた。その中で、田口トモロヲさんと松田龍平さんのやりとりのシーンがある。会話だが、田口トモロヲさん演じる武士が目線を下げて松田龍平さんから目を逸らすと、大島渚監督はすぐにカットし、激しく田口トモロヲさんを責める。「目線を下げるな」。その後、インタビューへと映像は変わるが、大島渚監督は目線を下げる田口トモロヲさんの中にある被害者意識のようなものに対して激怒していた。自信のない素振りを見せることへの苛立。そのような思考は、大島渚監督のドキュメンタリー「忘れられた皇軍でも伺えた。


「カメラは加害者」という意識で、それでもなおカメラを回す。在日韓国人で、日本のために戦った兵士たちが、戦後、日本人ではないためにつまはじきに遭う。韓国政府からも見捨てられた彼らが生きるために行なう皇軍にカメラを向ける。失った手、足、両目をカメラはクローズアップで捉える。そして、皇軍を見つめる一般市民も映し出す。彼らは、皇軍を見る。彼らの視線に被害者意識を見いだす。ただ、見て、通り過ぎる彼らに苛立を感じる大島渚。彼らを見返すように、大写しで失明した皇軍の主の表情を映す。


某日。朝。江戸川橋付近に用があり、家から歩いた。電話をしながら少し脇目もふらず歩いていたら、あっという間に目的の場所に達し、それから神楽坂の駅まで歩いたが、家から30分しか経っていなかった。歩けるのか、わずか30分で神楽坂まで。これはもっと徒歩でいろいろ行けると気付く。


某日。娘とユーリノルシュテインのDVDを観る。「話の話」はやはり面白かった。娘が「怖い」という感想を言っていたが、それはそうかもしれない。さらっと観れるアニメーションではない。よく判らなくても構わないけれど、どこか引っかかりを覚えて、またいつか見返してくれればいいなと思う。娘の感じた「怖さ」という引っかかりは絶対に大事だ。それは「畏れ」でもあったと思う。「畏れ」を感じさせてくれるようなアニメーションこそ、もっと観られるべきだ。


某日。休みで、家族で近所の、4月から行く予定の幼稚園へ。餅つき大会をしていて、それに参加。餅を食いつつ、娘が餅をつかせてもらう。その後、家の壁をペンキで塗る。家族総出でペンキだらけになりつつも、塗り終える。良い具合になる。


某日。引き続き、休み。娘とふらりと散歩。護国寺へ行き、それから江戸川橋方面へ。江戸川橋方面から目白へ向かうと急な坂道を登ることになる。娘を乗せたベビーカーをぜいぜいいいながら上げる。それから東京カテドラルにもふらりと寄る。やはり素敵な建造物。で、公園などでまったりする。風で落ち葉が舞うと、「葉っぱが遊んでいる」と娘が言う。まったく面白いことを言う。と、娘が水たまりで跳ねて遊び始めてしまう。褒めたらこれだ。靴ビショビショ。慌てて帰宅。


夜はなんだか頭痛がしてしまい、21時過ぎに娘と一緒に就寝。


今日。月曜。仕事で入谷に行ったので、帰りは三ノ輪から都電に乗って帰宅。雑司ヶ谷まで40分ほど。夜の都電はどこか寂しい。車窓を眺めつつ揺られていたら少しばかり酔った。帰宅。テレビの調子が悪いとのこと。金曜に少し修理してもらうことに。そして、自宅のネットの調子が悪い。原因不明。腹立たしい。