東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『そして、また一つ歳を重ね』

先日、仕事で中目黒に行ったとき、目黒川の近くを少し歩いた。桜が満開。混んでいるとあまり行きたいとは思わないけれど、この日は空いていて、川沿いを歩きつつ、桜を見る。テレビ番組で、なぜ老人は花を見るのが好きなのか、という質問をご年配の方に問いかけていた。「これまでいろいろと汚いものを見てきたから、綺麗なものを見たいって思うんです」と笑いながら話す人がいた。当然、放送されたときは笑い話として扱われたけれど、まぁそういうものなのかもしれないなぁと思った。

先日の日曜、雪が降った日。僕も雪桜を見に行こうと思ったけれど、タイミングが悪く、外に出たときは雨に変わってしまっていた。雪が少しつもった桜の写真を知人が送ってくれてそれがとても綺麗だった。ただ、そういった雪桜の写真をSNSなどでアップした人が、この自粛の時期に外に出て、と叩かれているというニュースも聞いた。それはしかしどうなんだろう。もちろん、自粛期間、いろいろと控えるべきではあると思うけれど、外に一歩もでないということが難しい状況だってあるだろうし、少し外にでたいときもある。そもそも新型コロナは空気感染はしないので、感染の可能性のある人との接触などがなければ、外にでて新鮮は空気を吸うこと自体は悪いことではないはずだ。なのに、その不謹慎と言葉にする意見が、ある種、正しいと支持をする人も多数いる。もちろん、油断や遊びたいだけで外に出て、人通りの多いところに行くことは良くないと思う。ただ、すべてのことをなんでもかんでも自粛すべきはどうなのだと思う。

昨日、東京都小池知事が記者会見をしたけれど、その会見より前に、職場関連の人たちからこのコロナに関して、とある声明を出すのではないか、と、職場で噂が流れた。なんでも似たいような業界の人たちにもその噂が流れているという。知人の中でも、普段しっかりしている方からLINEがきて、『このあと、東京が~』と同様の噂話を、人から聞いたと連絡をくれた。同じ噂、根拠は信頼に足る人から聞いたという噂。その根拠になるものがなかった。結果、小池知事の会見はクラブやBARの人にとって深刻だという別の意味での大変さはあるものの、あえて会見をすることを事前に伝えてまで大々的に場を設けて語る必要があったのかと思うものだったと思う。

どこか息苦しさが蔓延していて、なんだかいろいろなことに過剰で、なのにその根拠がうっすらはっきりしないことが多い。こういった噂の出回り方や、志村けんさんの訃報を受けて起こったヘイト発言。様々な情報が出回る。本当か嘘かは置いておいて。SNSは便利だ。間違いない。発信は自由だ。やはり、だからこそ、受け取る側がその情報のどれを受け入れるか、きちんと立ち止まり、考えなければならない。もちろん、これは自戒の意味を込めて。僕もまた、そういった言葉に右往左往してしまう。気を付けねばならない。

そんなこんなで、また一つ歳を重ねた。歳を取れることは幸いだ。特にこのご時世。当たり前のような生活ができなくなっている今だからこそ、なおさら。こういうときこそ、当たり前の日々をきちんと過ごすことができればと思う。家に帰ると、娘が手作りの蝋燭を作ってくれていた。そして、果物のゼリーを買ってくれていた。有難いなぁと思う