東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『cocoon』

天気予報で雪が降ると言っていて、ほんとかなぁと思っていたら、朝、目が覚めて窓を開けると本当に降っていて、びっくりした。この時期にかぁと驚く。

ぼんやりしつつ。午後に雪が雨にかわったあたりで、少し買い物に外に出る。考えてみると、雪の降る中で、桜並木に行っておけばよかったと少し後悔。買い物にいくついでに、家に溜まっていた使用済み電池や使い古した蛍光灯を区の施設のリサイクルボックスに入れに行く。雨の降る地元をふらふらする。さすがに人通りは少ない。以前、何回か行ったお店が今月末で閉店という案内がお店の扉に貼ってあった。残念。

インフルエンザだった娘も、熱が下がり部屋の中でゴロゴロしながら僕の持っている漫画を読めるくらい快復していた。雪は降っていたけど、午後に少しだけ、外へそれで、昨日に続き、撮りためていた無数のブルーレイから何か観ようと思い、ふと、以前に録画してそのままにしていた藤田貴大さん演出の舞台『cocoon』2015年版を観る。なんとなく録画した舞台映像で、マームとジプシーのことも知っていたし、原田郁子さんが音楽を担当されていることもあり、録画をしていて、そのままだった。あまり予備知識もいれず観始めてしまった。ちょっと想像を超えて、度肝を抜かれた。扱われる題材も沖縄戦の女学生の話であることもあり、とてつもなく息苦しくなる。

最近、俳優という存在はどういうものなんだろうって考えることが多く。例えばアスリートは、マラソン選手は2時間台で42キロを全力で走るし、サッカー選手も90分間を全力で走り続ける。では、俳優は。もちろん、肉体を酷使するだけが課せられるべきことではないけれど、僕たちが何かを俳優に観ようとするものは、そういうアスリートと同様でいて唯一無二の、何かしらの身体から立ち上がることなのかぁと思う。『cocoon』の舞台で役者にかけられる負荷は、生半可ではなく、とてつもない酷使を強いる。それが元々の藤田さんの演出方法なのか、この作品に特化されたものなのか僕は詳しくわからないのだけど、戦争体験がない世代が戦争を題材とすることに対して、一つの向き合い方・方法として、全力で、ひたすらに走り続けることだ、と提示されたような気持になる。幸福な学生生活の描写からとてつもなく走り続けるけれど、そこはまだまだ序章で、防空壕での不穏な日々があり、さらに、少しずつ戦争の中で犠牲者が出てくる辛い場面へと、どこまでも息苦しい全力の描写が続く。救いのない道をひたすら走り続けるような辛さ。実際に体力の消耗もあるだろうし、汗だくで台詞を発し、泥だらけになる姿は、演技云々ではなく、戦争で犠牲になったであろう女学生の姿に重ね合わせることができるほど胸を打つ。生半可な演技ではなく、身体そのもので向き合っているとでもいうか。目を覆いたくなる場面さえあったのだけど、娘もずっと一緒にその映像を観ていた。そういえば、とても魅力的な女優さんがいるなぁと思ったら、あとで調べたら青葉市子さんで驚いた。俳優もやられているのか。

久しぶりに抉られるような作品に触れることができた。まだまだ自分の知らない刺激はたくさんある。

というわけで、自粛もあり、いろいろゆっくりした土日。