東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『つながっている』

金曜。6時前に起きて出かける準備をする。シャワーを浴びて、礼服を着る。母から借りた黒のネクタイ。母から借りたというのは、つまり父のネクタイだ。嫁と娘と自宅から車で移動。首都高に乗り、王子方面へ。高架になっている高速で見晴らしがいい。スカイツリーも見えるけど、何よりも気持ちが良いのは荒川沿いの家やビル群の見晴らしだと思う。それから川口方面をまっすぐ埼玉方面に向かい、東北道に入る手前の安行で降りる。そこはかつて自分が住んでいた付近。娘に「この辺、前に僕たちは住んでいたんだよ」と伝えると、ふーんと反応する。意外と緑が多く、住みやすかった。早い時間だし、くだり方面だからだろうが、混雑はなく、順調に葬儀を行う場所へ着く。外に出るとやけに蒸し暑い。昨日送った伯父夫婦ももう起きていた。少ししてから兄と母が来た。葬儀のスタッフの方の指示で、白ご飯と茶碗、割りばし、あと、白玉を持ってくる。禅として供える食べ物。白玉を作るのに苦戦したと母が言っていた。5つの白玉を見栄えよく並べるのに苦戦している。

 

9時からの告別式だったが、7時半過ぎには来ておくようにとスタッフの人から指示があったが、結果的に「打合せは8時からやります」と言われて、30分の空きはなんなのかと思う。打合せといってもどうやらルーティンな名前の確認や、手配をしてもらった和尚さんへのお布施の段取りなどで、それほどのことはない。僕は受付をする係だったけど、呼んでいるは数組の親族と、一部、一般の方のみなので、そこまでバタバタすることはなかった。

 

父の遺影は事前に兄が決めて、葬儀スタッフの方に渡していた。真正面を見ている写真。もっと笑顔の写真もあったけど、まぁ、ここは真顔で、ということになった。手配をしてもらった和尚さんが戒名の書かれた位牌を持っていらっしゃり、兄が挨拶へ。戒名は父の名前が入った有難い感じのものを付けていただいていた。久しぶりにお会いする親族、親戚の方々。挨拶をすると「久しぶりだね」と応えてくれる。「こんな形で再会はしたくなかったけどね」と言ってくれた。

 

9時になると、時間通り、式が始まる。スタッフの方の慣れた司会の挨拶。よくよく考えるとこれも技術だなと思う。それからお経を読んでもらう。ちらりと娘を見る。理解できているだろうか。いや、理解はできてないだろうな。お経を読んでいただいた後、詳しくはわからないが、初七日法要も合わせてやる形になっており、そのお経も読んでいただく。僕たちも二度、焼香をする。その後、いったん、出棺の準備をするということでロビーに出される。しばらくしてから、またホールに入るようにアナウンスを受ける。父の棺が正面に向かって置かれて、花を供える用意ができている。嫁と娘が折り紙をいろいろ折っており、それも備える。あと、幾らか小銭もいれていた。三途の川を渡る六文銭らしい。

 

最後に故人に触れてあげてください。とアナウンスを受ける。少し化粧をして、血色は普段の父ではない。花や折り紙に囲まれている父は、それでも、まだ目を開けて起きてくるんじゃないかという感じだったけど、最後に頬に触れてみると、それまでとは違い、とても冷たくて、頬も硬くなっていた。ああ、ここにある、父の肉体は、もう、生きてはいないのだ、と実感できた。そう思うと、涙が出てきた。親族のうちで、僕たちも初めて会う方がお1人いらしてくれた。その方は、火葬には立ち会わず、告別式のみの出席だった。母がしきりにその人に「来ていただきありがとうございます」といい、これから霊柩車に乗って火葬場に移動しなければならないのに、繰り返し、何度も僕に「返礼品をあげて」と言って、それを見届けるまで車に乗ろうとしない。大丈夫、渡しておくから、と言ってもなぜか、「きちんと渡して」と言う。それを説得させて車に乗せる。会場を出ると、外はむっとする暑さだった。日も高くなっていた。

 

火葬場へは15分くらいで着いた。川べりの静かな場所で、火葬場の横には公園がある。平日の昼間。会合でもあるのか、そこでゲートボールをしているご老人がたくさんいた。きっと父よりご年配の方もいるだろう。火葬場のロータリーに着くと、棺を移動させる電動式の台車が用意されていて、会場の人が器用にそれを動かして、移動する。和尚さんを先頭に歩く。火葬場に入るのはいつ以来か。少なくとも15年近くは経っている。静かだ。どういう名前の付け方なのかわからないけれど「梅」と書かれた火葬場へ入る。松の名前がつく父が、梅という場所に行くのが、なんだか少しだけ不思議だった。

 

火葬場の方も当然だろうが、こういうことを毎日行っているので、手際がいい。機械的に進行されるけれども、どちらかというと、かえってそういう段取り的な方が、気持ちが楽だった。重々しい扉の奥に、棺がちょうど入る空間が空いている。そこに棺が移動され、カチッとスイッチが入る音がすると、それこそバーナーが点火するような響きがした。

 

控室に通されて、そこで少し待つ。親族の方々と話をする。大半が車で来ている人たちだったので、ノンアルコールビールを出したりする。それを飲んで、それぞれいろいろ話している。父の母、つまり僕にとってはおばあちゃんの葬儀に立ち会ったのは、僕が12歳頃だったという話になった。今、娘は10歳。ほぼ同年代。娘にとってはおじいちゃんに当たる人の葬儀。ああ、つながっているのだなぁと思う。その時にことを、僕はほとんど覚えてないが、黒い服を着た大人たちがたくさん集まり、酒を飲んだり、話をしている場があったことを覚えている。あと、お経が永遠のように長く感じたことも。あの時、子供だった僕は、今、41歳で、こうやって父の葬儀に立ち会っている。今朝、娘と自分がかつて暮らした近くを車で走ったことも、なんだか偶然ではないような気がしてくる。こうやって、何かが、少しずつ、次の世代にも受け継がれていく。よくわからないけれど、何かが、きちんとつながっているのだと思った。

 

1時間半ほどしてから、火葬が終わり、代表者2名が呼ばれたので、兄と僕がいく。想像よりも骨は形がはっきりしている部分が少なく、人の形はしているものの、説明をうけないとわからない部分もある。代表者が呼ばれたのは、骨以外に拾うものがあるかの確認だった。指輪や金歯などだろう。心臓の近くに嫁が置いた小銭が丸焦げの状態であったので、それを拾ってもらうお願いをする。

 

それから、遺骨を詰めていく作業。2名一組で一つの骨を納める。その後は、スタッフの人が小さい丁寧に入れていく。途中で、満杯になりどうするのかと思ったら、僕らにことわりをいれてからぎゅうぎゅうと手で骨を押してつぶして入るスペースを確保していた。「あ、そういう風にするんだ」と参列の方からも声が聞こえた。最後に、耳の骨、頬のあたり、頭蓋骨、のどぼとけの骨を納めて、それで蓋を閉じた。

 

外にでると、さらに気温は上がっていて、一気に汗が噴き出してきた。この日は、久しぶりに34度近くまで気温があがった真夏日だった。

 

コロナのこともあり、いわゆる精進落としは今回は無しだったけれど、地方から来ていた伯父夫婦は、帰りの飛行機まで時間があったので、食事をとってもらった。それから僕がまた、羽田に送る。国道は混んでいた。連休前の金曜の夕方近く。混む要素ばかりだ。荒川付近、見晴らしのいい高架を走る。

 

詳しいことは書かないが、父は実は養子で、今の僕の姓の一家にはいった。高校生の時だという。元々の生家の父親は義理堅い人で、今の僕の姓のある一家に引継ぐ息子ができなかったことを気にかけ、「存続させなければならない」と3人兄弟の次男である父を養子にだした。父は嫌がっていたというが、父親の意見は絶対だった。「高校生になるころだったし、自分の考えもあっただろうから、そりゃ嫌だったとは思うけれど、何もいえなかっただろう」と伯父は言う。知らなかった話だ。それまでの生家を出て、どういう気持ちで父は養子先に言ったのだろう。車で移動すれば40分程度の場所だったが、子供のころには、その距離は驚くほどの遠さだったろう。「関東の大学へ進学したのも、何か、考えがあったんだろうな」と伯父が続ける。そうかもしれない。電気工学の大学への進学という理由だけなら地元でも選べたと思うが、父は関東の大学へ進学した。確かにいろいろな考えが想像できる。が、すべて想像だ。父は多くを語らなかった。養子になったことも詳しく言わないので、僕は子供のころ、なんで自分の名字と違うところに、父の兄がいるのか不思議だった。

 

ただ、そこで関東に出てこなければ、父は結婚もしなかったし、そうなると、僕も生まれない。そして、当たり前だけど、こうやって、僕が伯父と話すこともなかった。

 

羽田に着いた。伯父夫婦はずっと地方の暮らしで、東京に出てくることもそれほど多くない。手荷物の段取りや、検査場まで僕が案内した。「連れてきてもらって安心たい」と笑顔で言ってくれる。連休前で飛行機は最終便しかとれないという。19時半。まだ17時過ぎだったけれど、待つから大丈夫という。「また、遊びにきなさい」と言ってくれる。父が亡くなってしまい、言うなれば、理由がない限り、父の実家に行く機会も無くなった。だけど、そういう風に言ってくれる。「必ず、行きます」と答える。嬉しそうに笑顔で、最後に手を振ってくれた。

 

一息ついて、なんだか喉が渇いて、コンビニでコーラを買う。飲むと炭酸の刺激と甘さが染み渡る。羽田からの帰りは、さらに混んでいた。品川近くで外をみると、きれいな夕焼けがでていた。ああ、きれいだなぁと思う。素直に思った。

 

猛烈に混んでいたのと、礼服を自宅に置いて、レンタカーを返却してから家に帰ったので、家に着く頃は21時を過ぎていた。この日は、嫁と娘も実家に泊った。娘が泊まりたいと言った。わいわいと元気に話してくれる。それから名探偵コナンスペシャル版をテレビで観始めた。ここからは、日常に戻っていくしかない。どうなるのかわからないし、父がいなくなったことが、母の生活にどう影響を与えるか、心配だけれど、ともかく、日常になっていくしかない。

 

僕もビールを飲んで、それで一息ついた。長い一日が終わった。