東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『木曜日』

木曜。少し早めに起きる。6時半。すると、母がテレビのラジオ体操をしていたので、横で同じようにラジオ体操を行う。ラジオ体操第二。テレビでそれを踊る人のキレが驚くほど凄まじい。できるだけ、意識して真似ると、腰に微妙な痛みを生じる。こんなどうでもいいことで、こんな時期に腰を痛めるとは。

 

それから駅へ向かう。葬儀は明日。結構、早い時間から始まるので、地方から来る父の実兄夫婦を羽田に迎えに行くことになり、レンタカーを借りた。駅に向かって歩くと、これから学校へ向かう制服をきた学生が駅から歩いてきている。おそらく僕も通っていた高校、のはず。やけに幼く見える。そして、早いなぁ。8時前に登校か。そんなもんだったっけ。部活があるのかな。などいろいろ思う。

 

レンタカー屋に着くと、4人の女性が先に受付をしていた。連休を前倒ししてどこかへでかけるのか。旅行のようだった。が、運転がだいぶ怪しい。で、ふと見ると、初心者マークのステッカーを付けていた。そういえば、レンタカーって初心者でも借りれるのか。店から左折して道路に出るだけでもだいぶおぼつかない感じだったが、この先、大丈夫だろうか。

 

それはともかく、僕も車を借りて、羽田へ向かう。平日の通勤時間だったので、ほどよく渋滞している。国道を避けたものの、住宅街の中の道路を進むのが正解なのかもよくわからない。ようやく三郷あたりから高速に乗る。そこからはある程度、スムーズに羽田へ。川沿いを進む高架の高速道路が好きだ。眺めがいい。スカイツリーも見えた。それから湾岸まで走り、大きく右へカーブして、お台場方面へ向かうと、羽田はわりとすぐ。とはいえ、地元からは2時間ほど要した。車を降りると、腰にさらなる痛みが。同じ姿勢を長く続けていたからだろう。

 

地方から来てくれた伯父にあたる、父の実兄夫婦。お会いするのはいつ以来か。多少、歳をとった印象はあるけれど、そこまで変わってはいなかった。逆に、僕はどう見えただろうか。いつの間にか40を超えたおっさんになっているのだ。羽田で蕎麦屋へ入る。昼時だったので、そこそこ賑わっている。それから再び、埼玉へ車を走らせるが、くだりは混雑もなく、スムーズに走れる。

 

伯父さんとは、ずいぶん会ってなかったけれど、話始めるといろいろ話すこともある。この時期に、母側の叔母とも連絡を取ったし、いろいろな親族関係とも話すが、血縁というのは不思議なものだなぁと思う。ここ20年ほど、ほぼ会う機会もないのだけど、それでも、こうやっていろいろとやりとりをすれば、堅苦しいこともなく、話ができる。父の実家のあたりは方言も強い土地で、久しぶりに懐かしいイントネーションを耳にする。

 

伯父夫婦は、葬儀のある会場の宿泊施設で一泊してもらう。そういう施設があることも知らなかった。主催である遺族が別れ前の最後の夜を一緒に過ごすための宿泊施設なのだろう。とはいえ、宿泊すると布団1つにつき、5000円をとるのだから、ビジネスホテルと変わらないが。伯父夫婦と会うと、母は「遠くから本当にありがとうございます」と涙を流した。父と面会をしてもらう。父は少し化粧などをしてもらった。白装束も着せてもらう。いわゆる送りびと的なことをしてもらった。「眠っているよう」にそこにいる。伯父夫婦は静かに父を見てくれていた。それから小一時間ほど、いろいろと話す。伯父夫婦に後をお願いして、僕らも外へ。「父の番はしておくから」と笑顔で言ってくれる。方言の響きが優しい。母は実家に帰り、明日の葬儀の準備。僕は礼服を取りに行ったり、ひとまず自分の家に戻る。こういう時、車は移動がスムーズだ。そのくらいの距離に住んでいたが、なかなか実家に戻らなかった。よく言われることだけど、親孝行というものは、やろうとしておく時に、やっておくべきだと思う。

 

21時近くになっていたが、嫁と娘が待っててくれていた。すでに父のことは話していたので、娘は、折り紙をたくさん折っていてくれていた。明日、出棺の際に、いれるのだという。

 

その日もやけに疲れていて、僕もあっという間に寝てしまった。