東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『二つのドキュメンタリー』

16日は朝から風が強く、肌寒かった。日中になってさらに風が強くなる。寒さのせいか、日の暮れはじめは、夕焼けが綺麗で、ビルの稜線の向こうのオレンジ色の空がどんどんと蒼くなっていくのが綺麗だった。家に帰ったら、ガレージの中に落ち葉がいっぱい舞い込んでいた。

家に帰ると娘の眼鏡を新しくしたらしく、お金をくれと、書置きがある。それは仕方がない。

今朝、快晴。風も穏やかで寒さも無い。洗濯をして、布団も干す。それからガレージの落ち葉をまとめて仕事へ。昼頃、渋谷で要件があったので、11時から約束していたリモートの打ち合わせを出先のカフェでやろうと移動。で、どういう勘違いか、昼頃の要件を新宿と勘違いして、朝から新宿へ向かってしまい、渋谷だったことに気が付いて慌てて移動。そういう時に限って電車が遅延したりしてギリギリに。それにしても、頭の中の勝手な思い込みが凄かった。

そのあとも、今日はなんだかおかしく、次の予定が14時半から、と言われたので、また時間をつぶそうと、昼食の時間帯で混んでいるカフェで席が空くのを待って、ようやく座って仕事を始めたら、14時半の仕事が早くできないかと連絡があり、慌てたり、どうもうまくいかない。

事務所に戻ってから、いろいろ仕事をこなすが、次々と新しい仕事が増えて、終わる気配がない。

日々、何かが無くなり、買い物をして帰る。財布の中身がどんどんと減っていく。帰宅して、布団を取り込む。お日様のいい匂いがする。

今日は、1月17日。筋トレしながら、NHKのドキュメンタリーを観る。阪神淡路の震災で、直接の原因とは別で、それでも遠因では震災が原因で亡くなっただろうと思われる方々の名前を刻むモニュメントにまつわる話。生まれて間もないお子さんを亡くした夫婦、震災直前に病院に入院し、震災により転院を繰り返したのち、お亡くなりになった父親を持った娘さん、震災から6か月経ち、自ら死を選択した父親を持った姉妹、それぞれお亡くなりになった方の名前をモニュメントに遺すことで、死を受け入れていく姿を追う。


生まれて間もない子を亡くした夫婦は、歩くことさえできなかった娘のために、棺の中に靴を一緒にいれたという。これであっちで元気に歩いてほしいと願いをこめて。そして、名前をモニュメントに刻むことは、きちんと、この世にいた証を、何かをしてあげたいという想いからだという。

自死を選んだ父親の死が、なぜなのかと、姉妹は、折にふれ考えてしまうという。「夢の中でも良いから、でてきてほしい」と笑いながら語る。そして、父親の故郷である小豆島を姉妹で巡る。穏やかな海を一望できる山の上で、姉妹は、父のことを振り返る。

名前を刻むことで、死と向き合い、死を受け入れられるようになる人がいるという。死を、出来事を、忘れずに、思い続けて、辛いことばかりではなく、良い形で受け入れていく。29年経った今でも、それは続いている。

そのあと、もう一つ録画してあったドキュメンタリーを観た。「消滅集落の家族」という秋田の人里からやや離れた集落。2000年に住人がいなくなった場所に移り住んだ一組の家族を追ったドキュメンタリー。

豊かな自然の中で、自給自足の生活を目指した男性が、結婚し、夫婦、家族が出来ていく中で、少しずつ、社会の中でも暮らしていかなければならないと、町の仕事もし始める姿を描く。農村での自給自足の生活は、肉体的には大変だろうし、僕のような知識が足りない者からするととてつもないことだと思うのだけど、それを前向きに、そして日々、楽しそうに過ごす家族の姿は、素晴らしいと思った。自らの手で、米や野菜、そして、窯で米を炊き、味噌を自ら作る。おたまじゃくしや、蛍を追いかけ、鳥の鳴き声に季節を感じ、雪かきをする。お金や電気やガスは、自然の中で、人の生活を豊かにするけれど、暑さや、寒さの中で、命を育てて、命の恵みを頂き、生き、自然の環境を受け入れて、生活することの豊かさは、きっとあるのだと思う。それでも、やはりお金は必要で、家族の暮らしも徐々に姿をかえていく。人が生きていくことの難しさ。それでも、お金に追われる生き方をしない家族の暮らしは、自分の暮らしには無い豊かさがあるように思える。