東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『恵比寿映像祭など』

土曜。9時過ぎに起きると嫁から目白のガストへ行こうと言われる。なんでも、朝、ビュッフェスタイルで営業しているらしい。そこで家族で出かける。到着したのが10時過ぎだった。朝のビュッフェ形式は10時半までらしく、僕らが行った時は時すでに遅しだった。その建物がホテルも営業していて朝食会場がガストになっているらしい。なのでついでに外からのお客さんも同じくビュッフェ形式で受け入れてるらしい。間に合わなかった僕らはふつうに注文して朝のような昼のようなご飯を食べた。

 

それから僕は職場へ。仕事に行く前に恵比寿の東京都写真美術館へ。『恵比寿映像祭』の展示品の中に、『デジタルシャーマンプロジェクト』があり、それを見たくて行ってみる。

 

亡くなってから49日の間、生前に吹き込んでおいた音声データをロボットに再生させることで、元来ある49日の習慣を現代の技術を使って捉えてみる方法。49日後にデータが無くなるととも、デジタル的にも別れとなる。人の死に対して向き合うとき、どうにもならない気持ちを、49日という考え方を作ることによって、人は儀式的にどうにもならない悲しみを納得させたのではないか。デジタルシャーマンプロジェクトが興味深いことは、受け手としてロボットと向き合う残される側だけでなく、やがて死を迎える立場の人にも、音声を吹き込むことによって死と向き合うための時間を作れるのではないか。展示のロボットの音声はテストとして作者ご本人が吹き込んだ音声だったので、当然実際に死を迎えるわけではないけどれど、死んだ初日(という設定の日)から49日の間、音声データを吹き込む過程で、どうしたって死について考えることもあるし、それを見る僕たちもダイジェストではありつつも近づいてくる49日に向けて、心に準備をしていくような気になる。不思議なもので、入っている音声はわりとたわいもない言葉で「元気?」みたいなことが多い。おそらく、49日というのはそういう深刻さも枯れてしまうほどの時間なのだろう。絶妙にほどほど。その中で、悲しみを飲み込んでいく。実用のためというよりは(もちろん実用を想定して作られているのだろうけれども)、死者との向き合い方を改めて問うための方法として提示されている作品ではないか。

 

他にも、いくともの展示があり、それに刺激を受けた。ブラジルの森に暮らす方々の日常を追った映像。彼らは現代文明を否定しているわけではなく、サンダルも履けば、音楽が流れてくるラジオに耳を傾ける。ただ、自分の暮らす森が人の手により暴力的に失われていくことに対して嫌悪し、命をかけてそれに抵抗する表明をする。女たちは常に赤子を抱いて仕事をする。その姿を淡々ととらえる。

 

ければならない側にもにどちらかというと驚いたことに展示物のみの鑑賞なら無料だった。半ば強引にカタログも渡されたけど面白かった。

 

土日は風が少し冷たく感じるものの、穏やかで春が近づいていることを感じさせる陽気だった。

 

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