東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

TVを見ていろいろ思った

細木数子という占いをやる方がいる。
最近よくTVに出ているらしいが、なんだかずいぶんなことをいう方だそうだ。
まさしく芸能界ぶったぎりらしい。

まぁそれはそれでいいんだろう。そういう発言にニーズがあるわけだし。だけど、インターネットのヤフーのエンターテイメント記事を見ると、なんだかすごいことになっている。どうやら細木数子の言うことを聞かないと地獄に落ちるらしい。細木数子はことあるごとに占う芸能人に「地獄に落ちるわよ」というらしい。

これはすごい発言ですね。生きているうちは決着がつかないし、変な言い方無責任にもほどがある発言だ。そもそも占いってこうしたら前よりいいんじゃないかという提案をして聞き手はそれを受けて、そのアドバイスを聞く『選択』ができるものじゃないのか。それが細木数子によるとこれをしないといけないという『強制』になり、すこしでも躊躇すると「地獄に落ちるわよ」がくるらしい。だいたい地獄ってなんなんだろう。なんだか細木数子の発言を聞いていると地獄がとてもぼやけてくる。冷めた見方をするわけじゃないけど、僕は地獄とかはあまりあるとは思えない。と、いうのも僕は寺山修二さんの死生観に賛成するからで、かいつまんでいうと「死」という概念も生きているときにしかないということ。「死」に対するあれやこれや、例えば天国や地獄とか、輪廻とかもそういうのは生きているうちだから考えれることであり、肉体の消滅とともにやはり消える。だから「死」とは生きている人たちのものの考え方であり、肉体的な死により、「死」もまた死ぬ。死も消えてなくなり、無になる。というのが寺山さんの死の考え方を読んで、僕なりに消化した考え方だ。だから地獄という概念は生きている人による思考の中ではアリだろうけど、実際はやはりないと思う。

ひとつ気になっているのは占い師という職業のことであれは資格とかいるのだろうか。例えばその辺にある専門学校みたいのものを卒業したらすぐになれるものなのか。そういうところにいかなくても「俺は今日から占い師」と宣言すればなれるのだろうか。そういえば駅前によく占い師の修行中の怪しい人たちがいて、何かと声をかけて来るけど、あれなんかは何をどこで誰に教わって修行してるのかね。今度聞いてみたいけど間違えなくキャッチだろうし。めんどうなことになる。

一昨日、TBS系列で「昭和〜時代からの遺言」という特番があった。ちょっとみていたのいだけれど、ゲストにでていた石原慎太郎氏のコメントは概ね「昭和の頃にいたような人たちはいなくなった」だった。司会のビートたけしも「最近の若い人は元気ないな。昔はなにかあったら即デモをやっていた」とも言っていた。ではなにが変わったのだろう。どこに変化があったら、昭和と平成でそういう違いが生まれたのだろうか。「TVブロス」に連載されている爆笑問題のコラムの確か今週号で太田光がそのような変化がでたこと、今の日本の市民層に元気がないことについて、いわゆる団塊の世代の人たちを少し非難していた。60年代、70年代のあの革命を信じて行動した時代を経験して、今この時代の中心的な役割を担っている団塊の世代が、ここで表舞台にでてこないでどうするんだ、と。確かに経験したから行動に移せることもある。だけど逆もまたしかり。知っているからこそ行動できないこともある。何をやっても変えられないこともある。今の生活を犠牲にしてまで、そのようなことはできない。いろいろあるだろう。その番組の最後にビートたけしが言っていた。「今、平成は昭和という時代にかかった病気を治す治療期間。治るまでゆっくりしているそんな期間なんじゃないか。」。治るのはいつなのか。そして治ったとき僕達はどのような行動をしているのか。そして治るために何ができるのか。そんなことをテレビを見て思ったりしていた。